山本譲二 大ヒットは土下座からだった
歌手・山本譲二(65)が24日、横浜市内で営まれた自身の出世作「みちのくひとり旅」の作曲家で22日に死去した三島大輔(みしま・だいすけ、本名臼井邦彦=うすい・くにひこ)さんの通夜に参列。「先生は明るいことが大好きだった。だから泣きません。くよくよしたら元気だせ!と怒られるよ」と、恩人を亡くしたショックを隠し、気丈にふるまった。
1980年。歌手としてヒットがなく、もう後がない状況に追い込まれていた山本は、三島氏が作曲した「みちのくひとり旅」を聴き、「ぜひ歌わせてください」と土下座して自分の歌にした。
必死な活動で「みちのく-」は大ヒット。三島氏にとっても出世作となった。一緒に人生を賭けた勝負に出た者同士。「先生は自分にとってお父さんだった。先生も自分を息子と思ってくれていた。自分も先生も『みちのくひとり旅』で男になった」としみじみと振り返った。
8年前に、個人事務所を立ち上げ独立してからは、毎月1回「三島会」と称して酒席をともにした。数年前に三島氏にがんが見つかった後も11年に35周年記念曲「旅路の果ての…」の作曲を依頼。「依頼した時、先生は喜んでくれて元気になった。まだまだ曲を書くよ!と言ってくれたのに」。だが、三島氏との作品がこれが最後になった。
三島氏の遺影を前に「年上から順番とはいえ、悲しさ、世の無情を感じる。やるせない気持ちです」とまだ気持ちの整理がつかない様子。25日の葬儀にも参列するが「元気に送る。だから絶対に泣かない」と涙をこらえていた。