抗がん剤拒否は川島さんの決断 鎧塚氏
9月24日に胆管がんのため亡くなった女優・川島なお美さん(享年54)の通夜が1日、東京・青山葬儀所で営まれ、山田邦子、神田うの、古谷一行、石田純一、秋元康氏ら友人、関係者、数多くのファンが弔問に訪れた。喪主を務めた夫でパティシエの鎧塚俊彦氏(49)は、通夜後に取材に対応。「自分にはでき過ぎた女房だったと思います」と時折、言葉を詰まらせながら最愛の妻への思いを語った。
また、川島さんが抗がん剤治療を拒否した理由についても明かした。
川島さんは昨年1月末、肝内胆管がんの手術を受けた。その後、抗がん剤治療を選ばず、民間治療を続けたが、鎧塚氏は「(誰かに)吹き込まれたり、無知(から選んだの)ではなく、しっかり勉強して2人で、女房の思いだったんですが、決断しました」と明言した。
昨年7月にがんが再発したと医師から告げられた際、鎧塚さんは1人、「あと1年もたない」と余命宣告を受けた。余命を少しでも伸ばすには抗がん剤治療しかないことも告げられた。
川島さんには余命を伏せて、抗がん剤治療を選ぶか話し合ったが、「抗がん剤は正常なものまでやっつけるので私はやらない」という決意でいた。この思いを鎧塚さんは聞き入れた。
川島さんとささいなことで夫婦げんかをしたときも「私、死ぬまで別れないからね」と言われ「じんときた」という鎧塚氏。2日の告別式では「この世には帰ってこられないわけですから、華々しく送ってあげたい」と言葉を振り絞った。
花に囲まれ優しい微笑みを見せる遺影のそばには、川島さんの生まれ年の高級ワイン、ロマネコンティ、シャトーマルゴー、ラ・ターシュが置かれた。川島さんが宝物にしていたワインだった。鎧塚氏は、川島さんに白いドレスを着せ、ひつぎにはたくさんの写真と、楽屋のれん、衣装、ゴルフボール、(飼っていた犬の)シナモンの洋服を入れたことを明かした。
通夜では、弔問客を前に「最後は私の手をしっかりと握り、頭を上げ、しっかりした目で僕を見て、ハッと魂を吐くように、人生の幕を閉じました。最後まで本当に立派だったと思います。最後まで、やっぱり川島なお美は川島なお美のままでした。女房は、川島なお美は、本当に幸せでした」と声を震わせながらも気丈にあいさつ。弔問客の涙を誘った。