古舘氏【全文】報ステ最後の“名演説”
フリーアナウンサーの古舘伊知郎(61)が31日夜、2004年から12年間メーンキャスターを務めてきた、テレビ朝日の報道番組「報道ステーション」(月~金曜、後9・54)に最後の出演。番組のラスト10分間、突然の降板の真相や、報道番組にかけた情熱を語って締めた。
【以下、全文】
私がこんな元気なのになんで辞めることを決意したのかということも簡単におはなしするとすれば、そもそも私が12年前にどんな報道番組をやりたかったということにつながるんです。言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、言葉遣いも普段着で、普通の司法言葉なんかじゃなく、普通の言葉でざっくばらんなニュース番組を作りたいと真剣に思ってきたんです。
ところが現実は、みなさん、そんなに甘くありませんでした。たとえばですね、いわゆる、これが事実上の解散宣言とみられています。いわゆる、がつく、事実上をつけなくてはいけない、みられていると言わなくてはいけない。これはね、どうしたって必要なことなんです。やっぱりテレビ局側としても誰かを傷つけちゃいけないということもふくめて、2重3重の言葉の損害保険をかけなくちゃいけない。そして裁判でも、自白の任意性が焦点となっています。任意性、普段あまりそんな言葉は使わないですよね。本当にそういうふうに語ったのか、あるいは強制されたのかでいいわけですが、例えば今日の夕食は接待ですか、任意ですかとは言わないわけです。だけどガチッと固めてニュースはやらないといけないわけです。
そういう中で、正直申しますと窮屈になってきました。ちょっと私は自分なりの言葉、しゃべりで皆さんを楽しませたい、というわがままな欲求が募って参りました。12年間やらせていただいたという、ささやかな自負もありましたので、テレビ朝日にお願いして、引かせてくださいということを言いました。これが真相です。
ですから巷の一部で、なんらかのプレッシャー、圧力にかかって私は辞めるとか、辞めさせられるとか。そういうことでは一切ございません。ですから、そういう意味では、私のこういうしゃべりや番組を支持してくださってた方々にとっては、私が急にやめるのは裏切りにもつながります、本当にお許しください、申し訳ありません、私のわがままです。
ただ、この頃は報道番組で、あけっぴろげに昔よりも、いろんな発言ができなくなりつつあるような空気は私も感じています。とってもいい言葉を聞きました。この番組のコメンテーターの政治学者の中島先生がこういうことを教えてくれました。
空気を読むという特性が人間にはある、昔の偉い人も言っていた。空気を読むからどうしても一方向に流れて行ってしまう、だからこそ反面で水を差すという言動や行為が必要だ。私はその通りだと、感銘を受けました。つるんつるんの無難な言葉で固めた番組など、ちっともおもしろくありません。人間がやってるんです。人間は少なからず偏っています。だから情熱を持って番組を作れば、多少は番組は偏るんです。しかし全体的にほどよいバランスに仕上げ直せば、そこに腐心をしてゆけば、いいのではないかという、私は信念を持っております。
そういう意味では12年間やらせていただき、私の中でも育ってきた報道ステーション魂というもの、後任の方々に是非受け継いでいただいて、言うべきことは言う、多少厳しい発言でも言っておけば、間違いは謝る、そのかわりその激しい発言というものが、実は後年たって、あれがきっかけになって議論になっていい方向に向いたじゃないか、そういう事柄もあるはずだと信じています。
考えてみればですね、テレビの地上波、地上波なんていちいち言わなくても、テレビの一人勝ちの時代がありました。そのすばらしい時流に、よき時代に乗ってですね、きら星のごとく、あの久米宏さんがすばらしい「ニュースステーション」というニュースショーを、まさに時流の一番槍を掲げて突っ走りました。私はその後を受け継ぎました。テレビの地上波もだんだん厳しくなってまいりました。競争相手が多くなりました。でもそういう中でも、しんがりを務めさせていただいたかな、そんなささやかな自負は持っております。