腰パン・国母 4年前に後継者予言?
ソチ五輪・スノーボード男子ハーフパイプ(HP)で15歳の平野歩夢(バートン)が銀メダル、平岡卓(フッド)が銅メダルを獲得した。
4年前の2010年バンクーバー五輪で“腰パン騒動”の当事者だった国母和宏は、今回のソチ五輪日本代表の技術アドバイザーとして、海外合宿の際に選手たちにアドバイスした。日本代表の萩原監督は「技術的には当時からショーン(ホワイト)と並ぶものがあった。彼も彼なりにバンクーバーの経験がある」と、起用の理由を説明。銀メダルの平野は「自分ができなくてカズくん(国母)ができることを教えてくれたりして、それがこの五輪につながった」と感謝した。
国母はバンクーバー五輪での成田空港出発時に、五輪公式スーツにもかかわらずシャツ出し、腰パン姿で現れ、批判を浴びた。その後の会見で「反省してま~す」と話し、記者の質問に「チッ、うるせ~な」とつぶやく姿が全国に伝えられると、関係各所に抗議が殺到した。
バンクーバー五輪では開会式前日に日本選手団・橋本聖子団長が謝罪と開会式参加の自粛を発表した。全日本スキー連盟(SAJ)からは国母の五輪出場辞退の意向も伝えられたが、橋本団長の判断で、競技には出場した。
国母は圧倒的なエアの高さで予選2位で決勝に進んだが、決勝1回目は最終エアの大技ダブルコークで着地に失敗し、大転倒の末、顔面を強打。上唇に裂傷を負いながら臨んだ2回目も、再びダブルコークに挑戦。着地が乱れて手をついてしまい、結果は8位入賞。低い得点にブーイングが出るほど、観客を魅了した。
もっとも、その後の国母は“オレ流”の態度を貫いた。決勝2回目終了後、得点が出る前に不満げに自らのゴーグルを投げ飛ばし、日本オリンピック委員会(JOC)の広報の指示を無視し、足早に取材ゾーンを後にしようとした。
関係者にうながされ、インタビューに応じたかと思えば、口をゆすいだ水を上向きに吹き出し応対。「いろいろあったけど、最後まで応援してくれた人には感謝してる」と殊勝に話した一方で、騒動の影響については「そんなのあったら、こんなことやってない。スタイルを曲げなかったのは良かった」ときっぱり。スタイルとは?との問いに「言葉では説明できない。スノーボードを分かっている人にしか分からない」と禅問答を繰り広げた。
当時の国母は次のソチ五輪について「この後に続く本当のスノーボーダーが、五輪を目指してくれない限り、またオレが出るつもりですよ」と笑い、あたかも平野、平岡の10代コンビの表彰台シーンを予言していたようだった。