赤井長男・英五郎のデビューは極秘裏に
タレントで元プロボクサーの赤井英和(56)の長男・英五郎(20)が12、13日に大阪・関大でアマチュアボクサーとして初のリングに立ち2連勝を飾った。しかし、愛息がボクサーになるのを最も楽しみにしていた父・赤井の姿は会場になかった。
実は大きな話題になるであろう“浪速のロッキー2世”のデビュー計画は、赤井には極秘に進められていたのだ。自ら招いた過去の“舌禍”のためだ。
英五郎は留学していた米ハワイの高校2年生時、初めて「ボクシングをしたい」と日本にいる母・佳子さん(49)に電話した。「高校卒業までは勉強して。やるなら大学に行ってから」と息子に伝えた母は、赤井にもクギを刺した。
「英五郎がボクシングやりたいんだって。でも絶対、誰にもしゃべっちゃダメよ」。
赤井はうれしかった。今まで「ボクシングどうや?」と勧めてもラグビー、アメフットなどに情熱。興味がないと思っていた愛息が突然、自らと同じ道を歩むと言い出したのだ。
我慢も3カ月が限界だった。12年4月、ボクシングとは関係のない大阪のイベントに参加すると「嫁には口止めされてるんだけどね」と自ら切り出した。長男がボクサーになることを報道陣の前で明かすと「リオ五輪を目指す」とまでノリノリで話しまくったのだ。
ニュースは海を越え、英五郎は友人から「ボクシングやるんだって」と言われビックリ。母に「パパ、しゃべっちゃんだね」と泣きながら電話してきた。
佳子夫人の怒りは半端ではなかった。まだボクシングを始めてもいないし、そっとしてやりたい、という親心も台無し。「リオって一体、何なの!」と叱りつけた。赤井は一晩中、夫人の前で「ごめんなさい」と泣き続けていた、という。
“前科”を教訓に、今回、夫人は赤井抜きで英五郎や関係者のみで話をまとめた。大会への正式エントリーが決まる頃、伝えられた赤井は都内で入っていた舞台稽古を外せず、泣く泣く12日の朝、大阪を離れたのだった。
英五郎は小6からハワイで寮生活するなど、3人の子供はいずれも小、中学生時に米留学した。「理由は夫婦の危機だったかな」と佳子夫人は言う。
「夫婦がいつまでも夫婦でいられるとは限らない。赤井は今、俳優としてやらしてもらってホントありがたいんですけど、あんなだから、いつ投げ出すか分からなかったし。子供たちには1日でも早く自立して自分1人で生きて行けるようになって欲しかった」。赤井という男への“危機管理”が3人の子供への英才教育となった。
試合当日、赤井は1人、早朝5時に起き、市場へ朝食を食べに行った。家族の朝食中にはお茶だけを飲み、口数も少な。「父が1番、緊張していましたね」と逆に英五郎はリラックスしていた。
赤井は「俺とそっくり」と愛息を表する。怒とうの攻撃は父をほうふつとさせた。ボクシングを始めてわずか1年半で経験豊かな格上を連日、判定勝利で撃破。見事、ミドル級(75キロ以下)で全日本選手権(11月・岩手)への切符を獲得したのは、さすがの血筋と言うほかない。
赤井の今後の観戦に関して夫人は「これからは連れて行きます」と言う。「息子は全然、心配じゃないけど、赤井を置いてくる方が心配。ご飯はどうすればいいのか、とかね。連れて行った方が心配しなくて済む」。3人の子供は立派に独り立ちしそうだが、家にいる天真らんまんな大きな子供には、いつまでも手がかかるようだ。(デイリースポーツ・荒木 司)