浦和対G大阪 ほぼ同じ浮沈の歴史
浦和とG大阪。J創設元年の1993年からリーグに名を連ねる両軍が22日、埼玉スタジアムで大一番を戦う。浦和が勝てば8年ぶり2度目の優勝。G大阪が勝てば、9年ぶり2度目の優勝に望みをつなぐ。
J開幕当時の2クラブは成績が思わしくなく、93年からの年間順位でG大阪は7位(10クラブ中)、10位(12クラブ中)、14位(14クラブ中)と低迷。それ以上に浦和は10位、12位と2年続けて最下位になる始末だった(95年には4位と健闘)。
両チームがリーグ上位に定着し始めた時期は似ている。浦和は99年に低迷し2000年をJ2で戦ったものの、初タイトルとなった03年のナビスコ杯優勝をきっかけに浮上した。04年の第2ステージで優勝。この年はチャンピオンシップで敗れたものの、05年2位、06年優勝、07年2位(アジア・チャンピオンズリーグ優勝)と黄金時代につなげている。
G大阪も西野朗監督が就任した02年を境に成績が上向いた。02年、04年の年間3位をへて、1ステージ制となった05年に初優勝を果たした。06、07年も3位をキープし、08年には準決勝で浦和を破った上で、アジア・チャンピオンズリーグを制覇した。
大きな節目で両チームは直接対戦している。93年5月16日、Jリーグ開幕戦はこのカードだった。万博で行われた試合の結果は1-0でG大阪の勝利。得点したのは、後にJ1神戸やタイ・チョンブリを指揮するMF和田昌裕だった。
06年に浦和が優勝を決めた試合の相手もG大阪だった。12月2日の最終節。勝ち点69の首位・浦和に対し、2位・G大阪は66。引き分け以上はもちろん、得失点差の関係で2点差以内の負けでも浦和の優勝が決まるという状況だった。
浦和の先発はFWワシントン、ポンテ、MF長谷部、三都主、DF闘莉王ら。G大阪にはFWマグノアウベス、MF家長、加地、FW宮本ら(遠藤はベンチスタートで途中出場)という豪華な顔ぶれで行われた決戦は、G大阪がマグノアウベスのゴールで先制したものの、ポンテの同点弾、ワシントンの2得点で逆転した浦和が3-2で勝利。初優勝を果たした。
そして、栄華を極めた後に低迷期を迎えたことまで両軍に共通している。浦和は11年に2度目のJ2降格危機を迎え、辛くも15位で残留した。G大阪は12年に17位と低迷しJ2降格。13年の1シーズンでJ1に復帰したものの、辛酸をなめた。
リーグのお荷物と呼ばれたJ黎明(れいめい)期、上昇期、黄金期、低迷期とチームの起伏がほぼ同じ曲線を描くライバル2チーム。浦和がひと足早く2度目の栄冠をつかむのか、G大阪がまったをかけるのか。注目だ。