釜本氏、クラマー氏の「大和魂」語る
「日本サッカーの父」として知られるドイツ人指導者、デットマール・クラマー氏が17日に90歳で亡くなったことを受け、同氏の教えを受けて日本代表のエースとして大成し、銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪で得点王に輝いた釜本邦茂氏(71)が18日、デイリースポーツの電話取材に応じた。「ついにこの日が来たか…」と落胆すると同時に、「日本に来た直後に『大和魂を見せてみろ』とおっしゃっていた」と指導を受けた当時を振り返った。
クラマー氏が日本代表のコーチとして来日したのは1960年。64年の東京五輪へ向けて招へいされた。当時16歳だった釜本氏は「初めて会った時ぐらいから、『大和魂を見せろ』ということをおっしゃっていた。子ども心には、戦後言わなくなったので、そういう(大和魂という)ものがよく分からなかった。日本のことを勉強されてから来ていたのだと思う」と、その勤勉さ、研究熱心さを懐かしんだ。
指導方法は徹底して基本を繰り返すというものだった。当時、若手選手だった釜本氏は「僕は苦にならなかった。クラマーさんの言う通りにやればうまくなる」としゃにむについていったというが、「年をとった人の中には気に入らない部分もあったでしょう。そんなことできるわい、というようなね」と振り返った。
銅メダルを獲得した68年10月のメキシコ五輪を控えた同年1月、釜本氏は当時の西ドイツ・ザールブリュッケンへ短期留学したが、それを勧めたのもクラマー氏だった。その際は何か具体的なアドバイスというよりも「とにかく行けばうまくなる。そこに行けばいいんだ」とシンプルに背中を押された。環境が人を育てる、ということを地で行く教えだった。
クラマー氏と最後に会ったのは「3、4年前」だったという。「協会の何かの懇親会の時だった。ちょこっと、『元気にしているか』と話した。その時はお元気でした。『子どもたちにサッカーを教えているんだ』と話していました」。訃報に接し、釜本氏は「ついにこの時が来たか、という思いです。1年前ぐらいから様子が良くないという話は聞いていましたので…」と無念さをにじませた。