がん闘病の末…クライフ氏が死去
サッカーの元オランダ代表FWでスペイン1部リーグ・バルセロナの監督なども務めたヨハン・クライフ氏が24日、バルセロナで死去した。同氏が主催するヨハン・クライフ財団の公式サイトが伝えた。68歳だった。
同財団のサイトはトップページにオランダ代表時代、バルセロナ時代などの同氏の写真を掲載。「ヨハン・クライフが2016日、3月24日、バルセロナでがんとの闘病の末、家族に見守られながら安らかに死去しました」と報告した。また、悲しみにくれる遺族のプライバシーに配慮するよう求めている。
クライフ氏は47年4月25日生まれ。64年にオランダの名門アヤックスでプロとしてのキャリアをスタートさせ、73年にスペインの名門バルセロナへ移籍した。その後もアメリカでのプレーを経て、母国オランダに復帰。84年に引退した。
「フライング・ダッチマン」(空飛ぶオランダ人)という異名を持ち、74年のW杯西ドイツ大会ではその名を体現するかのような鮮やかなジャンピングボレーをブラジル戦で決めている。また、自分の軸足の後ろをボールを通して守備選手をかわす「クライフターン」のモデルでもある。
オランダ代表の中心選手として、FWは攻撃のみ、DFは守備のみといった固定観念を捨て、局面ごとにポジションを変えて数的優位をつくり出す「トータルフットボール」を確立させて、自国を準優勝に導いた(優勝は西ドイツ)。技術面、戦術面の両方でサッカー界に大きな革新をもたらした人物だった。
指導者としてもアヤックス、バルセロナで手腕を発揮。特にバルセロナ時代はパスを細かくつなぎボールの支配率を高めることで試合を支配するスタイルを志向。この戦術が現在のバルセロナのスタイルにも大きく影響を及ぼしている。