【緊急連載】柔道ニッポンの落日(下)
日本の苦戦は柔道が国際化した証明でもある。男子の金メダルゼロが決まった100キロ超級。フランスの英雄、テディ・リネールが登場するたびに、地鳴りのような歓声と足踏みが起こった。
203センチ、130キロ。かつて“霊長類最強”と称されたレスリングのカレリンを想起させる体格とオーラ。圧倒的な強さで金メダルを獲得すると、表彰式では会場が一体となってフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を大合唱。競技人口で日本を上回るフランスの柔道人気を実感させた。23歳のリネールは東京の国立スポーツ科学センターで柔道を学んだ。だが、その恵まれた環境から彼を上回る日本のスーパースターは出現していない。
講道館柔道の創始者・嘉納治五郎氏は日本が五輪に初参加した1912年ストックホルム大会で選手団の団長を務めた。100年後のロンドン大会、嘉納家から講道館館長を受け継いだ全柔連の上村春樹会長が団長を務めた。その記念すべき節目の大会で、皮肉にも、男子柔道は史上最悪の結果を招いてしまった。
上村団長は「柔道でメダルといえば、金しかない」が持論。今回、日本柔道が獲得した銀2、銅2の計4個は前回を2個上回るが、北京では2個とも金。惨敗から一夜明けた会見で、上村団長は「柔道で金が4~6個は欲しかった」と落胆した。「日本の選手は調整段階で調子がいいのに負ける。精神面の強化が必要。原点に戻らなくては」と危機感を募らせた。
全柔連の吉村和郎強化委員長は「試合中にコーチを見すぎる。自分の判断でいけないのか。もっと個性を出してくれ」と、選手の“指示待ち”を嘆く。篠原信一監督は「私のころより海外の選手はバテなくなってきた」と、世界の壁を指摘した。どうなる、ニッポン柔道。五輪で「金ゼロ」に終わっても騒がれない時代が来るのだろうか。リオデジャネイロへのカウントダウンは既に始まっている。=おわり=