錦織が銅 「日本のために」96年ぶりメダル!東京五輪も「楽しみ」
「リオ五輪・テニス男子シングルス・3位決定戦」(14日、五輪テニスセンター)
男子シングルスの3位決定戦で第4シードの錦織圭(26)=日清食品=は6-2、6-7、6-3で第3シードのナダル(スペイン)を破り、銅メダルを獲得した。日本勢のメダル獲得は、1920年アントワープ大会で熊谷一弥(故人)が男子シングルスで銀、熊谷が柏尾誠一郎(故人)と組んだ同ダブルスで銀メダルを獲得して以来96年ぶりの快挙となった。
こん身の力を込めて放った185キロのサーブに、ナダルはしゃがみ込んでラケットを差し出すだけだった。2時間49分の死闘に終止符を打った錦織は、日が傾き始めたリオの空に高々と両腕を突き上げた。1920年アントワープ大会で獲得した、全競技通じて日本五輪史上最古のメダルから96年。歴史を動かした錦織は日の丸を身にまとい「日本のために戦うのは心地良かった」と喜びに浸った。
負の要素はいくつもあった。四大大会優勝14度を誇る北京五輪金メダリストのナダルとは通算対戦成績1勝9敗と大きく負け越していた。また、3位決定戦は四大大会やツアーにはなく、準決勝でマリー(英国)に完敗した気持ちの切り替えも注視されていた。
跳び上がって打つ代名詞“エアK”も繰り出し、第1セットを先取。第2セットも5-2と追い詰めたが「メダルを意識して、硬くなった」と、2度のブレークバックを含む4ゲームを連取され、最後はタイブレークの末にセットを落とした。
「何度も気持ちが折れそうになった」が、流れを変えたのは最終セット直前の「トイレットブレーク」だった。10分を超える中断で着替えを済ませ、気持ちを落ち着かせた錦織とは対照的に、ナダルは苛立ちだけを募らせた。最終セットに突入した試合の勝率が歴代最高78%超という勝負強さを発揮。第4ゲームをブレークすると、そのまま押し切った。
29日には14年に準優勝した全米オープンが開幕する。「全米オープンに懸ける思いはあるけど、五輪でメダルを取れれば、自分も日本全体も盛り上がる。より日本人として戦える場がオリンピックだと思う」。大会前に口にしていた日の丸を背負って戦う決意を、現実のものにした。
5歳でラケットを握り、小学1年から両親に連れられ「グリーンテニススクール」(松江市)に入った。当時指導した柏井正樹さん(56)は「能力、ゲームセンスもそろっていた」と振り返る。小学生の頃から高校生に勝つこともあり、島根大で大学生相手に練習していた。13歳で単身渡米するまで過ごした松江市の立乃木小学校卒業時には、学校の広報誌に「日本一 次はその上 世界一」と川柳を詠んだ。
18歳で出場した08年北京大会は1回戦敗退、12年ロンドン大会は88年ぶりの8強進出。順調に階段を上り、3度目の五輪でメダルを手にした。表彰式で日本テニス界が待ち焦がれたメダルを首に掛けられ「重かった。いろんな思いが巡った」と実感を込めた。20年東京五輪に向け「正直、ちょっと楽しみ。今までにない感覚が出てきた」と意欲を示した。4年後は、この日見上げた表彰台の一番高い場所に立つ。