沙保里、最後まで亡き父直伝タックル 「金メダルとれなくてごめんね」
「リオ五輪・レスリング女子フリースタイル53キロ級・決勝」(18日、カリオカアリーナ)
女子の3階級が行われ、53キロ級決勝で吉田沙保里(33)=フリー=は昨年の世界選手権55キロ級優勝のヘレン・マルーリス(米国)に判定で敗れ、4連覇を逃した。個人戦では01年の山本聖子に敗れて以降、続いていた連勝記録が「206」でストップ。13連覇中の世界選手権と五輪と合わせた連続世界一の記録も「16」で止まり、「最後の最後に負けてしまって悔しい」と号泣した。進退については明言を避けたが、このままマットから退く可能性も出てきた。
最後は、父にたたき込まれたタックルで勝負をかけた。しかし、無情にも試合終了のブザーが鳴る。四つんばいの姿勢で突っ伏したままの吉田が、マット上でむせび泣いた。
「金メダルを取れなくてごめんね」-。吉田は天国の父・栄勝さんに感謝を伝えるように、最後は代名詞のタックルを繰り出した。
2014年3月、別れは突然に訪れた。移動中の車内で意識を失い、61歳で帰らぬ人となった。「お父さん、なんで」。吉田は父と対面して泣き崩れた。
父の指導の下で、3歳からレスリング漬けの人生は始まった。練習の大半はタックル練習。数ミリ単位のズレにこだわる厳しい指導で、代名詞である高速タックルは磨かれた。
生活すべてがレスリング優先。音楽好きの吉田は小学生時代、母が運転する道場への送り迎えの車で松任谷由実らの歌を歌った。ピアノも習いたかったが、父に猛反対された。「それでタックルがうまくなるんか!?」。
家では父が絶対。「怖かったし、お父さんなんて死んでしまえ、と思ったこともある」と吉田。母には「なんでお父さんみたいな人と結婚したの?」と聞いたこともあった。ただ、高校生になり、親元を離れたことで父の偉大さに気づいた。
ロンドン五輪では、金メダルを取った後に父を肩車した。遺影はその時の写真だった。
最後は約束の金メダルで終われなかったが、二人三脚で磨いたタックルを出した。「本当に最後まで応援してくれていたと思う。信じて闘うことができた」と感謝した。