レジェンド葛西 26年招致札幌も飛ぶ 22年北京はもちろん
「平昌五輪・スキージャンプ男子団体」(19日、アルペンシア・ジャンプセンター)
ジャンプ男子団体(ヒルサイズ=HS142メートル)で、前回ソチ五輪銅メダルの竹内択(30)=北野建設、伊東大貴(32)=雪印メグミルク、葛西紀明(45)=土屋ホーム、初出場の小林陵侑(21)=土屋ホーム=で臨んだ日本は合計940・5点で6位だった。ノルウェーが1098・5点で初優勝した。8度目の五輪ですべての競技を終えた葛西は、2022年北京五輪出場への意欲を語った。
目指していたメダルには届かなかった。それでも葛西の顔は晴れ晴れとしていた。日本、そして冬季五輪史上最多となる8度目の五輪。出るだけで重圧があった。「やりきったという気持ちです」。
1つ夢をかなえた大会だった。初めて家族の前で飛んだ五輪。姉の紀子さん、ソチ五輪後に結婚した妻の怜奈さん、16年に誕生した2歳になる娘の璃乃ちゃんが個人ラージヒルに続いて会場で観戦。「家族に見てもらうことが1番の目標だった」。今までにはなかった力に背中を押された。
そして、夜空に輝く2つの星にも、葛西は目をやった。16年1月、ずっと血液の難病に苦しんでいた5歳下の妹の久美子さんが亡くなった。38歳だった。久美子さんには長距離移動の負担が重く、過去7度の五輪は、家族は現地観戦を控えた。それでも平昌五輪で、家族の目の前で飛ぶ。それはソチの前から描いていた葛西の夢だった。「平昌は近い。みんなを連れて行ってやるから、任せとけ」-。ソチの前、家族の前でそう誓った。
ただ、その前に久美子さんは天国へと旅立っていった。葛西は長野五輪前の97年に母の幸子さんを亡くしている。天から見守る母と妹、支えてくれる姉、そして妻と娘。初めて愛する家族みんなに見守ってもらった夢舞台。今までとは違った喜びがあった。
男の夢が尽きることはない。4年後、49歳で迎える22年北京五輪について問われると「目指すというか絶対に出ます!」。表彰台にの選手を見つめ「次は絶対に自分が取るという悔しい気持ちが湧いてる。まだいける!」と、言い放った。葛西は地元の札幌が招致を目指している8年後の26年五輪にも「絶対出たい。10度目の五輪。キリがいいしね」と、以前に話している。
「次は家族の前でメダルを取るという新しい目標ができた」。黄金の輝きが欲しい。その光を追う姿が、家族の希望になると信じているから。もっと遠くまで空を飛びたい。ジャンパーとして、自分の夢をかなえるために。レジェンドの物語は、まだ終わらない。