長州力 芸能界で迷走する名言製造器

 初冬の夕暮れ。半袖Tシャツ姿の長州力は都内のファミレスでアイスコーヒーを飲み干すと、突然、質問してきた。「僕なんか、今後どういうことをやっていけばいいんでしょうかね。反対に教えて欲しいくらいなんですよ」。既に“長州力”というジャンルを確立したカリスマ・プロレスラー。そんな、進路に悩む学生じゃないんですから…と言いたい気持ちを抑え、「それはもう、長州さんとして“そこにいる”ということでいいんじゃないですか」と返したが、「なんか疲れるんですよね」と芸能活動の難しさを切々と打ち明けられた。

 長州は2013年6月からバラエティー番組の出演が増えた。例えば、タカアンドトシの番組では“インチキ催眠術”をかけられるという「ドッキリ」企画でありながら、眠ったり金縛りにあうフリもせず、素の表情でイスから立ち上がって現場から帰ってしまった。そんなテレビ番組の“お約束”を無意識に破壊する天然ぶりがウケている。出演の際にメイクは「面倒だから」しないし、練習帰りの格好でそのままカメラの前に立つなど相変わらずの自然体だという。関係者は「明らかに本人がテレビを苦手とし、早く帰りたがっているのが伝わってくる姿が見ていて新鮮で面白い」「テレビ出演に全く固執していないので誰にも気を遣うことなく発言がガチ」とブレークの要因を分析する。

 というわけで、年の瀬に、「今の長州」から話を聞いて欲しいというマネジャー氏からお声かけいただき、今回の“取材”となったのだが、それはいつの間にか“人生相談”になっていた。本人は訴える。「なぜ、みんな笑うのかな。眠くないし、立てるから帰っただけで。(催眠術に)かかったふりしないと場を壊すのかなとも思ったけど、まあいいやって。仕方ないでしょ」

 長州は「芸能界」という、もう一つのリングで迷走している。この“迷走”とは「迷いながら走っている」という文字通りの意味で、前向きな要素を含む。本人は何だかよく分からないのだけれど、長州の勇姿を見て育った番組スタッフや出演者にリスペクトされ、そこから生まれるハプニングが彼の“味”になっている。だから、ちゃんと走っている。それでも走り心地は悪いようだ。

 「やっぱり空気が合わないですよね。リングの中で演じることと、スタジオでカメラの前で演じることは全く違いますからね。打ち合わせもほとんどしない。したところで僕はどうにもならない。それが成り立っているのが今でも不思議。スタッフや芸人さんが僕のファン?だから反対に気を遣っちゃいますよ。みんな本番になるとガラッと変わるし。みんなと合わせて笑わなきゃいけないのかとか、すごく疲れるんですよ。なんでみんな笑うのかな。僕、おかしくないのに笑えないですよ。それもぜいたくなアレですけど。仕事いただけるのは来年、再来年くらいまでですよ。難しいです。芸能界は大変ですよ」

 長州は12月3日で62歳になった。同月には今年3社目の契約となるCMが流れ始めた。大みそかは昨年に続いて日本テレビ系「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」スペシャル版に登場。今も旬だ。さらに、2014年はデビュー40周年という節目の年。1月13日には「レジェンド・ザ・プロレスリング」の後楽園ホール大会で新日本プロレス時代の大先輩“世界の荒鷲”坂口征二氏の長男・坂口征夫と組み、宿命のライバル・藤波辰爾とLEONA親子とタッグ対決する。「なんか変なアレですよね」と言いながら、藤波ジュニアのデビュー戦の相手を務める因縁もあり、新春のマット界では注目の一戦だ。

 慣れない芸能活動と並行するプロレスが今も心の支え。「プロレスは苦しい状況に入ってますけど、それは時代が変わってきたというか、当たり前のことでね。その時代、時代に合わせていかなきゃいけない。この業界はなくならないですよ。プロレスが好きな人間がやってる限りね。うちの客層も40代、50代とかの人が多くなって変わってきた。今、楽しいですよ。昔は全国を渡り歩いたけど満喫したことは1度もなかった。おいしいものも食べたこともない。今はゆっくり休みながら、試合が終わってからみんなで食事したりして。なんか、来年は僕のデビュー40周年・・・みたいですけど(笑)、節目で何かやるとかは全く考えてないですよ。正直、ここまでやるとは思わなかった」

 近い将来の“引退”について問うと、「引退してるじゃないですか。僕は東京ドームで終わってますよ」と1998年1月4日の引退試合を挙げた。“ハイスパート時代”の長州は15年前に消え、還暦を過ぎてもリングに上がり続ける男は“第2長州”だったのか。「2020年の東京五輪までプロレスをやっていますか」と尋ねると、「それはない。できないですよ」。引退試合やセレモニーは行わず、フェードアウトするつもりらしい。そこに“芸能人”として自分の居場所があるとは本人も思っていない。「リングに立たなくてもトークショーや講演などで話を聞きたいファンは多いと思いますよ」と提案すると、「僕、滑舌悪いですから。ハッハッハッハッ!」と自虐ネタで豪快に笑われた。

 私は11年の春から初夏にかけ、デイリースポーツ紙上で長州の連載コラムを担当し、同年3・11後の福島ではボランティア活動の末席に加えさせていただいた。ボブ・マーリーのベスト盤がエンドレスにループする“長州号”の車中で話をうかがいながら、気がつくと福島第1原発から半径20キロ以内の警戒区域内に迷い込んでいたり、南相馬市内の避難所に物資を届けに行くと、そこで大仁田厚と“ガチ”で出くわすという、引きの強さも実感させられたりした。そんな経緯もあって話題は時事ネタへと流れた。

 「もう2年半ですか。福島の根底的なアレを日本が抱えている限り(真の復興は?)難しいですよね。世の中はマッチメークですよ。国会もマッチメーク」。藤波に対する「かませ犬」発言など、糸井重里氏をして「電通に入っていたら(コピーライターとして)大成功していた」と言わしめた“名言製造機”。大仁田への「またぐなよ」も忘れられない。故橋本真也さんと繰り広げた“コラタコ問答”は趣旨が違うとはいえ、道場で耳にした時に鳥肌が立った。今回の“ファミレス問答”で、野党の分裂、都知事の金銭問題、北朝鮮情勢などを踏まえて飛び出した「世の中はマッチメーク」も13年版名言に加えておこう。

 最後に、好きな音楽の話になると、長州の顔がパッと緩んだ。

 「僕、今年、サンタナ見に行きましたよ。前の方で」。13年3月、サンタナは40年ぶりの来日公演を単独で行った。「プロレスデビューして1、2年たった頃、初めてアメリカに行った時にフロリダのタンパでコンサート見たんですよ、サンタナの。40年近く前。だから今回も見たかった」「最初、誰がギター弾いてるのかと思ってね。おじいちゃんでしたよ。こんな小さくてね。帽子かぶって。あれ誰だろうと思ったら、カルロス・サンタナですよ!弾き始めがすごい。それから、ほんとに最後まで弾けるのかなと思って聴いてたら、最後まで弾きましたからね!雰囲気あってね。すごいなぁ」

 手だれのレジェンド(伝説)ギタリストが奏でる「哀愁のヨーロッパ」「ブラック・マジック・ウーマン」…。何千回とネック上を滑った指の動き、“顔”で弾くギター。長州の「リキラリアート」「サソリ固め」…。何千回と繰り返したリング上のムーブ。音楽とプロレスというジャンルは違えど、いずれも“プロフェッショナル”による匠(たくみ)の技という共通点がある。

 「生きていればよしとする」‐。それもレジェンドの存在価値だ。くしくも、長州が現在、藤波や初代タイガーマスクらと共闘する興行の看板も「レジェンド」である。そう。長州はサンタナに自身を投影していたのかもしれない。サンタナに己の姿を見たのかもしれない。サンタナは長州である。長州はサンタナである。そこに、今後の生きる道のヒントが隠されているかもしれない。(デイリースポーツ・北村泰介)

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