“南国”愛媛から出るかソチ五輪「金」
ソチ五輪の日本代表選手リストを眺めながら、各選手の出身地を調べてみた。当然のことながら、北海道や東北、長野といった雪国育ちが圧倒的に多い。そんな中で目を引くのが「愛媛」の2文字。スノーボード男子ハーフパイプ(HP)代表の23歳、青野令(りょう)だ。
4年前のバンクーバー大会。青野は愛媛県出身選手として初の冬季五輪出場を果たしたが、本番ではミスに泣き9位に終わった。2大会連続出場となるソチは雪辱の舞台となる。1月31日に故郷・松山市で行われた激励会では「金メダルを目指します」と堂々と宣言。地元の後援者らから大きな拍手を浴びた青野は「アクロスがあったから今の自分がある。アクロスへの感謝を忘れず、アクロスのために頑張りたい」と続けた。
「アクロス重信」。松山市の隣の東温市にあった日本最大級の屋内スキー場だ。1999年に開場。全長90メートルのゲレンデと、当時国内唯一だった全長100メートルのハーフパイプコースを有し、季節を問わず全国から選手や愛好家が集まった。
青野は小学3年時から毎日学校が終わるとここに通い、夢中で滑った。しかし、開場翌年に8万人を動員した巨大施設は年々利用者数が減少。多額の赤字を抱え、12年1月31日に閉館を余儀なくされた。
短い歴史ではあったが、この「アクロス重信」がなければ、雪とは縁遠い“南国”愛媛から冬季五輪代表が生まれることはなかったはずだ。
青野だけではない。ソチ五輪に出場する男女計8人のスノーボード代表選手のほとんどが「アクロス重信」で育ったといっていい。
特に平岡卓(男子HP、奈良県出身)、角野友基(男子スロープスタイル、兵庫県出身)、岡田良菜(女子HP、滋賀県出身)ら関西出身選手は、週末は愛媛に来て「アクロス重信」で練習。夏休みには長期滞在し、青野と一緒に技を磨いた。仲が良く、ライバルでもあった子どもたちは、そのまま世界レベルの選手に成長。青野の父・伸之さん(44)は「令にとって、アクロスは学校のようなものだった」と懐かしそうに振り返る。
閉館後、青野らは署名活動を行い5万人超を集めたが、営業再開の願いはかなわなかった。練習の場を失った青野は昨年、地元の松山大を中退。愛媛から離れることを決断し、より良い練習環境を求めて日体大に入学した。
今季は不調が続き、ソチ切符獲得が危ぶまれていた。しかし、1月18日にカナダで行われた五輪前最後のW杯で優勝。追加で代表に滑り込む勝負強さを見せた。「多少はプレッシャーに強くなったかな」。重圧に押しつぶされたバンクーバーに比べ、精神面の成長を実感して2度目の五輪に挑む。
激励会には、「アクロス重信」を運営していた久万総合開発の田村信介社長(56)の姿もあった。苦渋の決断だった閉館から2年。「アクロスへの感謝」「アクロスのために」と語った青野の言葉に、同社長は「うれしいですよね」と穏やかな笑みを浮かべた。
“南国”愛媛からの金メダル挑戦。それは恩返しの舞台でもある。ソチの空高く舞う青野の滑りに注目したい。
(デイリースポーツ・浜村博文)