上村愛子、最後まで17歳の笑顔だった
現役最後の五輪としてソチに出場したフリースタイル・女子モーグルの上村愛子選手(34)=北野建設=が、4位に終わった。健闘した姿に「終わった」と言いたくないが、やはり5度の五輪で一度はメダルを獲らせてあげたかったと、心から思った。
1998年の長野五輪でモーグルを担当した記者は、17歳から18歳にかけての上村を取材した。当時、五輪オフィシャルスポンサーのCMに、現役女子高生スキーヤーとして出演した上村は、アイドル並みの人気だった。
合宿にも常に多くの報道陣が詰め掛けたが、そこはスキー場。いわゆる“ぶら下がり取材”をするために、スキーを履いていないわれわれもリフトに乗って山を登り、またリフトに乗って降りるの繰り返しだった。上村は白馬村にある実家のペンションが自慢で「お母さんの料理は世界一おいしいんです。一度食べに来てください」と気さくに誘ってくれる少女だった。
しかし、ただでさえ注目度の高い国内開催の五輪。連盟サイドは選手へのプレッシャーを考慮して報道規制を厳しくし、それまで比較的自由だった現場は一転、休憩時間にも選手に話しかけられなくなってしまった。
五輪を控えた国内合宿の時だ。スキーを抱えて引き上げて来る上村が、記者を見つけて駆け寄ってきた。ニット帽をスルリと脱いで「見て見て!五輪ヘアにしたんですよ」とエクステンション(付け毛)で5色に彩った新しい髪型を見せてくれた。ネイルにも五輪のマークを入れていた。
雑談していると「勝手に取材しないでください!」とスタッフが割って入ったが、明らかに杞憂(きゆう)だった。重圧とは無縁で、五輪への期待だけを抱いていた上村は、スタッフのガードの向こうから「このヘア、かわいいですよね?」と必死で顔をのぞかせていた。
長野五輪では7位入賞。里谷多英が金メダルを獲得した瞬間、自分のことのようにうれし泣きしていた姿が忘れられない。
ひたすら真摯(しんし)に、謙虚に、五輪に向き合った愛ちゃん。時には腐ってしまいたくなることもあっただろう。でも、17歳の時の純粋な笑顔のままで最後の五輪を終えたことが、彼女にとって最高のメダルのような気がする。
(デイリースポーツ・船曳陽子)