高倉健、中尾彬まで演じた金田一耕助
神戸市中央区東川崎町にあるデイリースポーツ神戸本社からわずか200~300メートル西へ行くと作家・横溝正史の生誕地碑がある。江戸川乱歩と並ぶ、昭和を代表する探偵作家は1902年5月24日、この地で生まれている。
76年、映画『犬神家の一族』が公開されると、空前の横溝ブームが起こった。私の自宅にも、この文庫本があった。たぶん、4歳上の姉が買ったものだと思う。当時小学校高学年だった私は、そのちょっと気色の悪い表紙に興味津々で、難しい漢字を飛ばしながらも一気に読み上げた記憶がある。もちろん、父母にねだって映画にも連れて行ってもらった。それまでゴジラとかガメラのような怪獣映画しか観たことがなかったが、これが初めての大人の映画だった。場所もはっきり覚えている。今は「阪急メンズ館」になっているが、当時はそこに東宝の直営館・梅田劇場があった。湖から足がにょっきり出たポスターは斬新すぎたし、恐怖でもあった。
それから見事に横溝ワールドにはまってしまった。角川文庫に収められている40~50冊に及ぶ文庫本はほぼ読破。それに飽きたらず、戦前に発表された「人形佐七捕物帖」の時代劇ものまで古本屋で探し出してむさぼるように読んだ。
なぜここまで惹かれたのか。一にも二にも正史が作り出した金田一耕助という探偵の魅力だろう。それまで探偵といえば、シャーロック・ホームズや明智小五郎といったスマートなイメージだった。戦後すぐにアメリカから輸入された映画「マルタの鷹」や「三つ数えろ」でハンフリー・ボガード演じた主人公も、ハードボイルドの定番といえるトレンチコートにソフト帽をかぶったタフな探偵だった。
それに比べると金田一耕助は、もじゃもじゃ頭で髪の毛をかきむしる癖があり、フケを飛ばしまくる。よれよれの羽織、はかまで、興奮するとしゃべり口調も発音がおかしくなる。まるで風采はあがらないが、それでいて神のごとく颯爽(さっそう)と事件を解決する。
映画化された金田一耕助で、原作に忠実に映像化した最初の作品が、石坂浩二演じた76年の『犬神家の一族』だった。では“初代”金田一は誰かといえば、47年に登場した片岡千恵蔵だが、これがハンフリー・ボガードをまねたソフト帽にダブルのスーツ、おまけに拳銃まで所持していた。以後、石坂・金田一までに池部良ら何人もの名優、俳優が演じたが、すっかりこのイメージが定着してしまった。
びっくりしたのは61年にあの高倉健が1作だけ演じていることだ。正史の代表作『悪魔の手毬唄』なのだが、これが原作と大違い。後日談によると、脚本家は原作を読まずにイメージだけで書き上げたという。実は石坂・金田一が登場するまでの金田一映画は、そのほとんどが原作と犯人が違うものだったという。正史は「小説と映画は別」と割り切ったおおらかな?スタンスだったといえる。
原作に充実だったことが逆に衝撃的だった石坂・金田一だが、彼が登場する前年の75年にも映画化された作品があった。『本陣殺人事件』なのだが、その金田一役に抜てきされたのが若かりし中尾彬である。今ではこわもてのイメージがある中尾彬だが、ちょっと知的でシャイな探偵を演じている。これはレンタルビデオ店にも並べられているので、ぜひお薦めしたい。小説の『本陣殺人事件』は金田一のデビュー事件であり、時代設定は戦前。しかし、映画では低予算で作られたため現代版になっている。だが予算上の都合からか、謎解きの重要なカギを握るはずの水車があまりオモテに出てこない。さらに、現代の感覚では考えられない殺人動機で、これを現代風に演出するのには多少無理があった。ただ、ジーパンを履いたヒッピー風の金田一耕助を、あの中尾彬が演じたというのがなかなか興味深いではないか。
石坂・金田一の登場により、原作に近い金田一耕助像ができあがったわけだが、それ以後はさまざまな俳優が演じている。西田敏行、中井貴一、片岡鶴太郎…。 しかし、石坂・金田一が圧倒的な存在感を示し、おどろおどろしい横溝ワールドを忠実に表現した市川崑監督による作品群が、最も完成度の高い金田一像になったことは誰も否定することはできないだろう。
19日、BSプレミアムで午後1時から石坂・金田一による『犬神家の一族』が、26日には『悪魔の手毬唄』がオンエアされる。ともに約40年前の作品だが、まるで古くささを感じさせないのは原作を忠実に映像化したからにほかならない。興味のある方はぜひご覧いただきたい。
ちなみに正史が設定した金田一耕助の年齢とは…。1902年生まれの本人から11歳年下ということになっているので、今年で101歳になるはずである。名探偵よ、永遠あれ。
(デイリースポーツ・坂元昭夫)