オリックス復活のカギを握る人物とは…

 「頑張ろうKOBE」を合言葉に、オリックスがパ・リーグを連覇してから今年ではや18年になる。名将・仰木彬監督(故人)の巧みな采配に、イチロー(現ヤンキース)を中心とした個性あふれる選手達が縦横無尽にフィールドを駆け巡って阪神・淡路大震災で傷ついた地元を勇気づけた。1996年の日本一は今も脳裏から離れないが、当時の主力が抜けて以降の成績は見るにたえない。

 特に、近鉄と合併し「オリックス・バファローズ」となった2005年から昨年13年までの9年間は、成績、観客動員数ともに伸び悩み、かつての栄光が色あせた感が強いが、節目の10年目を迎え“復活”の兆しも少しずつ見え始めている。

 オリックスが球団史上最多の観客動員数を記録したのは前述の1996年。この年は日本一になったことで179万4000人を動員したが、以降は先細り傾向に陥った。過去5年間は下記の通り。

 2009年 6位 128万5907人

 2010年 5位 144万3559人

 2011年 4位 140万961人

 2012年 6位 133万676人

 2013年 5位 143万8467人

 近鉄との合併後、Aクラスに入ったのが大石監督代行時代の2008年(2位)ただ1回。この成績が観客動員に影響を及ぼしているのは間違いないが、それでも草の根運動的な地道な営業努力が徐々に実を結びかけてもいる。

 元来、オリックスのファンサービスは定評があったところに、昨年ダイエーやロッテで球団代表、球団社長等の要職を歴任した瀬戸山隆三氏を招へい(ポストは執行役員球団本部長補佐)したこともあり、退潮傾向に歯止めをかけ、観客動員数も前年度から若干だが増加に転じた。

 瀬戸山氏を個人的にもよく知るデイリースポーツ評論家・岡義朗氏は「彼をフロントに迎えたのはオリックスにとってよかったと思う。ダイエー時代もそうだが、ロッテの球団代表だった2005年に、様々なイベントを仕掛けてファンと選手の一体化を図り、さらにチームを3位から日本一に導いた手腕はたいしたもの。オリックスに入って2年目の今年はさらに彼が培ってきたノウハウが生かされるだろう」と評価する。

 昨年11月、執行役員球団本部長として編成部門のトップに立つと矢継ぎ早に戦力補強に乗り出した。主砲だった李大浩やバルディリスは金銭面で折り合わずに放出したが、西武からヘルマン、ソフトバンクを自由契約となったペーニャ、さらにメジャー9年間で80本塁打のベタンコートを獲得するなど、2年目を迎えた森脇体制を強力にサポート。現在も米大リーグでプレーを続ける元ソフトバンクの川崎や和田の動向に注視しつつ、来季以降の獲得に向けて準備を行っている。

 「観客動員についてはラインが違うので何とも言えませんが、戦力面についてはできる限りのことをしますよ。あとは森脇監督をはじめ選手たちの“勝ちへの執念”でしょう」と瀬戸山本部長。万年Bクラスから執念で脱却すれば、自ずと地元のファンの目も向いてくる。そのための努力は惜しまないという。

 成績が悪いから観客数も伸びない。これは当然の話だが、オリックスに致命的だったのは“合併球団”となって独自の色が喪失されたことに尽きる。神戸色が強いオリックスと、大阪南部の色が濃い近鉄が同居することになって球団名を「オリックス・バファローズ」にし、双方で監督経験のある故・仰木彬氏を初代監督に据えて両球団の“いいとこ取り”を目指したが、関西のファンには中途半端なイメージしか残せなかった。

 球団内にも神戸から移った本拠地・京セラドームを「借家と同じ」というムードがいまだにある。だが、それも少しずつ変わりつつあるようだ。「地元のファンをもっと大切にしないといけない」(瀬戸山本部長)という球団方針の下、より地域に密着した取り組みを行っていくという。その全貌は明らかになっていないが、期待感は抱かせる。

 有名タレントを多く抱える「エイベックス」と提携し、普通のチアガールが華麗なダンスチームに変身する今季。ソフトもハードも充実させたオリックスがどんな復活劇を見せるか。カギはやはり森脇監督が握っている。

(デイリースポーツ・中村正直)

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