「ももクロ」国立進出の背景は他流試合

 国立競技場で女性グループ初の単独公演(3月15、16日)を成功させた「ももいろクローバーZ」(以下ももクロ)だが、3年前の春、デイリースポーツでは芸能面ではなく、プロレス側からの視点で、ひっそりと(?)1ページの特集記事を組んだことがある。国立の聖火台に立つ“大出世”したメンバーの勇姿を紙面で確認しながら、当時撮影した写真を探した。まだ国立の余韻が残るうち、ここに“一つの記録”としてアップしておく。

 2011年4月14日、東京・鶯谷の東京キネマ倶楽部。グランドキャバレーを改装した昭和レトロな雰囲気の会場で、ももクロはプロレスラーの武藤敬司と“対戦”した。「試練の七番勝負」と題して各界の達人たちからレクチャーを受け、今後の飛躍につながるヒントを学ぶという7日間の企画の1つだった。テーマはもちろん「プロレス」である。

 伏線は4月初め。武藤をインタビューする機会があり、「プロレス以外で興味のあること」について聞くと、意外な答えが返ってきた。「ももクロって知ってる?面白ェんだよ。今度、俺、コンサートにゲストで出るんだ」。それは、4月10日に東京・中野サンプラザで行われた公演で、早見あかり(現在は女優として活躍中)が脱退して6人編成から5人となり、グループ名の末尾に「Z」が付いたターニングポイントだった。武藤の“プロレスLOVEポーズ”を振り付けに導入した曲「Chai Maxx」で、メンバーと共演した公演を見ることはかなわなかったが、天才レスラーとアイドルのコラボを格闘技面のトップ記事にするという企画を立て、4日後のイベントでは関係者席に座らせていただいた。

 ヒール(悪役)の心得を学ぶ講義では、リーダーの百田夏菜子がブルーザー・ブロディを意識して「移民の歌」で入場し、チェーンを振り回して司会の南海キャンディーズ・山里亮太の首を締めた。武藤は「いいねぇ。若干、SMチックで」と絶賛。他の4人もパイプイス、石油缶、フォーク、金だらい…と歴代の悪役たちが名刺代わりに使った凶器を手に大暴れ。そのアイドルらしからぬ無邪気で天衣無縫な順応性はその後も一貫している。

 また、メンバーが5色に色分けされていることに着目した武藤は「1人1人にカラーがあるのなら、それぞれの色の毒霧を歌の最後に吐いてみたらいい」と提案。毒霧の作り方を質問し、武藤に「サソリの毒や下関のフグとか、全部混ぜて…」とジョークで返されると、驚きの表情で信じ込む5人に会場から笑いが起きたが、その半年後、10月23日の全日本プロレス・両国国技館大会に「恩返し」として参戦した彼女たちはリングで実際に毒霧を吐くことになる。

 印象に残ったのは、武藤が講義の中で説いた「背中の重要性」という言葉だ。「舞台と違って、リングは四方から見られる。プロレスラーは常に背中を見られる仕事。背中が重要なんだ」。その“宿題”に対する回答だったのか、翌年4月22日の横浜アリーナ大会(ももクロ公演が『~大会』と称されるのもプロレス的な文脈)では、リングと同様、会場中央に設置されたステージで、360度からの視線を背中に浴びながら歌い、踊った。

 といった具合に、その日のイベントは彼女たちの“その後”に生かされ、武藤が掲げる「点を線にする」を体現していく。ももクロの仕掛け人であるチーフマネジャーの川上アキラ氏は筋金入りの“プロレス者”。ステージ演出の佐々木敦規氏は格闘技界でも活躍するディレクターで、K-1のあおり映像を作っていた。11年12月に初進出したさいたまスーパーアリーナ大会の演出(特にオープニング)は、同会場を聖地とした総合格闘技イベント「PRIDE」をほうふつとさせた。ももクロとプロレス&格闘技の親和性は、彼らブレーンによるところが大きいが、他流試合はそれだけにとどまらない。

 『落語』では東京の定席である上野・鈴本演芸場で林家しん平と高座に上がった。『フォーク』では南こうせつと「神田川」や「あの素晴らしい愛をもう一度」を合唱。『昭和歌謡』ではザ・ワイルドワンズや、「NHKのど自慢」「スター誕生!」で知られるアコーディオン奏者の故横森良造さんと共演し、『ザ・ドリフターズ』では加藤茶とコントを演じた。『ヘビメタ』ではブラックサバス(1969年結成の英ロックバンド)にオマージュをささげた曲「黒い週末」を引っ提げて「オズフェスト」(ヘビメタの祭典)に出演。昭和52年(77年)のヒット曲「愛のメモリー」の替え歌でビッグイベントを告知する松崎しげるは常連になっている。ももクロは若いファン層にとって“温故知新の伝道者”であり、親世代のファンにはノスタルジーをかき立てさせる子供たちだ。

 90年代生まれのメンバーは、はるか昔に活躍した“知らない人”を相手にしながらも“やらされている感”がない。逆に自分流に飲み込んでしまう。その部分で、今は亡き、「週刊ファイト」の“I編集長”こと井上義啓氏が残した「プロレスは底が丸見えの底なし沼」という名フレーズを思い出す。プロレスの4文字を、ももクロに置き換えてみると、公園の路上や家電量販店での無料ライブで歌い始めてわずか5年10か月、史上最速で国立競技場での単独公演を実現した要因の一つがおぼろげに見えてくる。

 見た目のキャラクターは分かりやすい(=底が丸見え)。だが、分からない。なぜ、ここまで熱狂的に支持されるのかと問われると、“モノノフ(この言葉も田中将大投手によって世間に浸透した)”でない大人たちは言葉に窮する。「全力投球」「アクロバティック」「結束力」「口パクなし」「サブカルチャーから大御所まで多彩な作家陣による個性的な楽曲」といった周知の要素だけでは説明しきれない“サムシング・エルス(何か)”があり、それは何でも飲み込んでしまう“底なし沼”のようでもある。ももクロは底が丸見えの底なし沼‐。

 最後に後日談を一つ。ももクロが武藤と共演した「試練の七番勝負」の第2弾が12年1月末から2月初めに開催され、あの梶原一騎氏の実弟で、作家、空手家の真樹日佐夫氏も出演予定だった。取材で事務所に出入りさせていただいていたのだが、11年の暮れ、真樹氏から「おい、ももクロって知ってるか?今度、一緒にイベントに出るんだよ。ももクロ、何人いるんだ?」と聞かされた時は、驚きと同時に“ももクロvs昭和のステゴロ”という異種格闘技戦に期待が膨らんだことを覚えている。だが、年が明けた1月2日、真樹氏は急逝され、世代を越えた「究極の他流試合」は幻に終わった。そんな記憶が今回の「国立」からよみがえったという次第。ちなみに、テーマは「ケンカ」だった。=一部敬称略=

(デイリースポーツ・北村泰介)

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