初出場の美里工はV候補沖縄尚学の宿敵
2014年3月21日
「10」は昨夏に「1」を背負ったこともある技巧派右腕の長嶺飛翔投手(3年)。さらに中学時代は「右の山城(現沖縄尚学エース)、左の島袋」と県内で並び称された島袋倫投手(3年)も控える。入学直後は伊波、長嶺よりも先に頭角を現したサウスポーだ。チーム内で切磋琢磨(せっさたくま)して、常にレベルの高い競争を繰り広げてきた。
美里工ではレギュラーを示す背番号「1」~「9」とベンチ入りメンバーは選手間投票で決められる。高校野球ではエースの象徴である「1」も監督から与えられるのではなく、チームメートから選ばれる方式だ。神谷監督は「ベンチにさえ入っていれば試合で使えるのだから、背番号は関係ない」と話すが、投手にとってエースナンバーは大きな意味を持つ。
昨秋から「1」の伊波も順風満帆ではなかった。1年秋に一度、「1」に選ばれたが「1番の仕事はしていませんでした」と振り返る。その後も伸び悩み、昨夏は最終投票によって、島袋と入れ替わりの「15」でギリギリ滑り込んだ。「1」は腰痛から復活した同学年のライバル長嶺だった。
調子が上がらなかった伊波だが、大会直前にコーチの助言で体の開きが早かった癖を修正。半信半疑で始めた新フォームが見事にはまって復調した。秋の新人大会からは「1」を取り戻した。投票でも初めて自信をもって「1」に自分の名前を書き込んだ。「やらないと結果が出ないし、やればやった分だけ返ってくる。頑張れば皆が認めてくれる」という投票制がエースの自覚を生んでいる。
美里工野球部では「文武両道」ならぬ「文部両道」を掲げ、勉強と部活動の両立を目指している。入学直後の1年生は野球ではなく、まずは国家資格取得のための勉強に取り組む。工業高校の一般生徒が3年間かけて取るレベルの資格を野球部員は数カ月で取得を目指す。就職に有利な“武器”を得てから、野球にも専念する狙いだ。
伊波も第二種電気工事士の資格を持つ。1年では不合格だったが、2年で合格。入学直後からメンバー入りしていたことを言い訳にせず、文部両道を実践した。この文部両道の方針は今では野球部以外にも広がりを見せているという。
昨秋の九州大会決勝は長嶺をリリーフした伊波の失投で逆転負けを喫した。そして、接戦の末に敗れた相手がその後の神宮大会で優勝した。「県民としてはうれしかったけど、ライバルとしては悔しかった」と伊波は思い返す。県内の宿敵である沖縄尚学の“秋の日本一”は大いに刺激になった。
「尚学さんも神宮大会で相当成長していると思う。自分たちも神宮に出ていれば勝てたのではないかというのは負け惜しみになる。でも、あの舞台に出たかったという思いはあります」
いよいよ秋に逃した全国舞台だ。自分たちの力を存分に示すときがきた。初戦は第4日第2試合で甲子園通算15勝の関東第一(東京)が相手。同県の沖縄尚学とは決勝まで当たらない組み合わせになっている。
「県勢で戦いたいですけど、その前に初戦を勝たないと。初戦に勝って勢いに乗っていければいい。勝ちに行きます。自信はあります」。伊波は待ちに待った全国デビューを前に力を込める。
「『美里、美里』と言われるけど、『美里工業』と覚えてほしいです。美里高校もありますから」と笑みを浮かべる。2学年80人の仲間の信頼を得て、今大会もエースに選ばれた伊波が、沖縄の県立高校、美里工業の名前を全国に知らしめる。
(デイリースポーツ・斉藤章平)