“潜在的失業者”柄本明の役者哲学とは

 俳優・柄本明(65)から1通の手紙が届いた。「面白い芝居です」。手書きで味のある筆致から舞台にかける思いが伝わってきた。東京・下北沢の本多劇場で今月20日まで公演中の劇団東京乾電池本公演「そして誰もいなくなった ゴドーを待つ十人のインディアン」。アガサ・クリスティの傑作を題材にした別役実作品で、柄本は演出と主演を務めている。

 “ゴドー氏”(※この名の通り、サミュエル・ベケットの不条理劇が下敷き)に招かれた10人の男女が次々と殺されていき、最後にはどんでん返しが…。と、筋だけ書くと物騒だが、カラッとした距離感とテンポの良い言葉の応酬で、クスクスと笑いが漏れる作風でもある。ここでは内容の紹介や“劇評”的なことを書くよりも、柄本明という1人の役者の肉声と息づかいのようなものを伝えられたらと思う。

 初日(10日)の終演後、誰もいなくなった劇場の客席。柄本はメーク落としを手に楽屋からUターンしてきた。400席近くある会場で2人、席を並べて話をうかがった。

 「別役さんの本は分からないから面白い。ラビリンス(迷宮)ですよね。今の世の中、“分からなくちゃいけない”という強迫観念があって、非常に“分かりやすいもの”を求めている。僕、たまにテレビの仕事に行きますけど、それがまた難しい。すごく“分かりやすい”でしょ。『なんでこんなこと言うの?』ってこと(説明的な台詞など)を言わなくちゃならない。もちろん面白いものもあるけれど、僕にとっては、その“分かりやすさ”がものすごく難しい。今回の芝居は不条理劇といわれるものですけど、逆に僕なんかには分かりやすいんですよね」

 分かりやすいから、分からない。分からないから、よく分かる。禅問答のような話の展開に、柄本は「すみませんね。難しいこと言って」と屈託なく笑った。言わんとされていることは分かる(ような気がした)。柄本が言う“分かりやすさ”は最大公約数の受け手をターゲットに、数字や利益を求める表現全般のことだと思う。「それって『経済』だと思うんですよ」。自身は80年代から映画、テレビドラマ、バラエティー、CM等、いわゆる“メジャー”な分野でも露出してきたが、その一方、“経済”から離れて、やりたいことにこだわり、振り子のようにバランスを保っている。

 「アマチュアでなければいけないという思いもあるんですよ。(役者って)いくつになってもフリーター。潜在的失業者なんだから(笑)」。既に日本で名優の1人に数えられる地位を確立していても、常に「潜在的失業者」という意識を持ち続けている柄本。守りに入らないアマチュアリズムが、この舞台には貫かれている。

 初日は空席が目立ったが、柄本はその空間も楽しんでいるかのようだった。「客席と舞台の距離が離れていく感じが好きですね。お互いに他人であるという距離感が僕は好き。こういうお芝居にお客さんか来たら、それはそれで気持ち悪いという感じがあるんですよ。この劇場にお客さんが5人だとすると、面白いですよ。そうなった時に巻き起こるある種の緊張感というか。それではダメなんだけど、そんな空間で演じる俺なりのうれしさもある(笑)。まぁ、来てもらいたいんですけどね」。その少ない客席で何人かの俳優を見かけた。終演後、ロビーで「面白かったなぁ」と実感を込めた言葉を何度も繰り返す、映画やテレビでも活躍する役者がいた。分かる人には分かる世界がある。

 柄本は昨年8月、NHKの番組取材で訪れたペルーで武装した強盗団に襲撃されるというショッキングな事件に遭遇した。「あれは本当に怖かったですね。今はこうしてしゃべれるけど。あの時、分かんなくなりましたよ。『こんな場面、映画で見たことあったけど、今、ここには俺がいる』って」。そう振り返りながら、「我々の存在自体、分からないわけですよ。なんで俺は俺なのか。分からない。別役作品の登場人物も男1とか男2とか(名前を持たない)でしょ」と、トラウマになるような現実体験から演劇論へと話は広がった。

 今秋には別役作「風のセールスマン」で1人芝居。11月には新派の舞台に挑む。「中村勘三郎さんと約束していたんだけど、本人が亡くなられて…。(勘三郎さんの姉)波乃(久里子)さんも出られます。新派は初めてです。(出演する)新橋演舞場は勘三郎さんが勘九郎時代に、藤山直美さんと『浅草パラダイス』という芝居で何回かやらせていただきました」。その大仕事を前に、まずは今、自身の拠点である下北沢で舞台に専念している。

 「そして誰もいなくなった‐」では次男・柄本時生とも共演。「歌舞伎役者のせがれとは違うんだけれど、うちは環境というか、俺もかみさん(角替和枝)もこんなことやってるし、生まれた時には劇団があって。息子たち(長男・佑は先にデビュー)とは『映画のアレが面白かった』なんて話を(普通に日常生活の中で)してますね」。話は尽きなかった。ひょうひょうと、風のように舞台に生き様を刻む筋金入りの役者バカ一代。そんな柄本の一端に触れるには生の舞台が一番だ。=敬称略

(デイリースポーツ・北村泰介)

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