高校野球の今昔 豪華な練習試合が普通
高校野球と言えば、練習、練習、また練習。気の遠くなるような日々の果てに、たまーに、練習試合が組まれる。近畿の、ある強豪校の監督いわく「だから、試合をするのが楽しみで仕方なかったですね」。
この十数年は、それ以前と比べればかなり、様変わりしている。「試合をすること自体が、チーム力アップの最大の手段になっています」とは前出の監督だ。
血と汗と涙に鉄拳が混じれば今は問題校となる(制度上は、学生野球ができたころから体罰は認められていないが)。生徒のコンディショニングも考え、週に一度は休日を設けるべし、という指導がある。
体をつくり、技術を磨き、試合の中で自分たちのレベルをはかり、成果や課題を抽出していく、という合理的な作業が、以前より重視されるようになったということだろう。
加えてインフラの整備もある。30数年前、記者は愛媛・松山の高校で野球をしていたが、市外の高校へ出向いて試合をするとなると、どこへ行くのも峠を越えるか海を越えるかしかない。
楽しみである一方、うねうねした道を何時間も揺られることを考えれば、うんざりした気分も同居していた。他の都道府県であっても、同様の場所は数多くあっただろう。
今は高速道路が整備され、大きな橋も架けられ、同じ時間で(うねうねせずに)動ける範囲は何倍にも広がった。
「移動」ということに対する抵抗感が、大きく軽減したことで、強豪校の胸を借りたい、似たような環境のチームとのつながりを深めたい、その他、さまざまな根拠に応じて相手チームを選べるようになった。
こうしたことで、対外試合を禁止される期間を除く毎週末、さらには平日すら、試合をどんどん組むことが容易になっている。
加えて甲子園常連校で、特に寒冷地の高校ともなれば、対外試合解禁直前の3月に、沖縄や南九州で合宿を行い、そこに来た高校同士が試合を組む。ファンからすれば非常に豪華な練習試合が開催されるわけだ。
まことに結構なことだ。お金を使える学校と、そうでないところにいくらか差はあるだろうが、いろんなところで、少ないストレスで試合ができるのは、生徒たちにとって野球以外の見聞も広げられる。
無理やりデメリットをほじくり返す必要はないが、こうした様変わりの中であえて、ファンとして楽しみが減った部分を指摘すると言えば、突然、謎の強いチームが出現するような機会が減ったことだろうか。
交通も、通信、情報伝達も成熟し、何十試合もこなすことができる今、センバツで優勝し、日本中の高校から追われる立場となった龍谷大平安・原田英彦監督は「うちは完全に分析され尽くすでしょう」と言う。「それでも他校が追いつけないレベルアップをしないと」。それはそれで大変な時代だ。
(デイリースポーツ・西下 純)