やしきたかじんさんの隠された出自とは
2014年9月8日
選考委員のノンフィクション作家・高山文彦氏は「本当に残念でした!」とウイットに富んだ表現で労をねぎらいつつ、「在日韓国人2世であるやしきたかじんという人物と彼を強大な力で抑えていた実父の、いわば『血と骨』の物語、それが描けていれば本賞の枠を飛び越えて、とてつもない傑作になっていただろう。なおさら取材を重ねて世の中に出していかれることを期待したい」と、ビートたけし主演、崔洋一監督で映画化もされた、梁石日(ヤン・ソギル)氏の自伝的小説「血と骨」にイメージを重ねた。角岡氏は「アニキ」と呼ぶ高山氏の言葉通り、応募後も数か月の“なおさら取材”を重ねて加筆し、くしくも“9・11”という日に単行本として“世の中に出すこと”をかなえた。
そんなやりとりを耳にしているうちに、79年頃の記憶がよみがえった。三十路になるかならないかのたかじんさんがMBSのヤンタン(関西在住の10代にとって“義務教育”のようなラジオ番組「ヤングタウン」の愛称。たかじんさんは83年までパーソナリティーを務めた)で、実父との確執を語っていたことを思い出したのだ。学生時代、新聞記者志望を父に告げた際、突き放すような敬語を交えて頭から全否定された場面を、たかじんさんは父の口調をまねて再現していた。青年期のルサンチマン(この場合は父という絶対者への憎悪であり、同時にそれは音楽を選んだ表現者にとって不可欠な要素、動機付けになったと思う)にあふれていたが、出自については全く触れられることはなかった。
式後のパーティーで角岡氏に声を掛けた。神戸新聞時代の昔話もそこそこに、たかじんさんの出自について改めてうかがうと…。「周囲はそのことを知っていたが、最後まで公にされなかった。自身の番組で“在日”を取り上げた際、在日韓国人のパネラー(例えば前述の崔監督)を迎えたことがあり、その時、本人も名乗るチャンスはあったのに、できなかった」。だからこそ、“それ”を初めて書くプレッシャーと同氏は格闘した。
では、なぜ、そこまで掘り下げたのか。それは「歌手としてのやしきたかじんを再評価したい」という思いからだったという。実はそれこそが本書の大きなテーマだ。出自にまで触れたのは、彼の「歌」に結びつく原点の1つとして描かねばならなかったからだろう。何よりも、本書のタイトル「ゆめいらんかね」は「家鋪隆仁」名義で自身が作曲し、キングレコードの「ベルウッド」レーベルから76年10月21日に発売されたデビュー・シングルの曲名である。同日発売のファースト・アルバム「TAKAJIN」の5曲目にも収録されており、当時、たかじんさんは27歳になったばかりだった。
「ベルウッド」といえば、高田渡、はっぴいえんど~細野晴臣&大瀧詠一のソロ、あがた森魚、友川かずき(現カズキ)、遠藤賢司、三上寛…といった唯一無二の顔ぶれが群雄割拠した伝説のレーベル。後にカリスマ司会者となり、「やっぱ好きやねん」「東京」などのヒット曲で知られる歌手と彼らの音楽性は、今でこそ交わる要素を全く感じさせないが、モハメド・アリとアントニオ猪木が日本武道館で戦ったあの年、「1976年のやしきたかじん」はその延長線上にいたシンガー・ソングライターだったのだ。
角岡氏は言う。「9・11という日に本を出す。(01年の同時多発)テロとは全く関係ないですが、僕にとってはハラハラドキドキ。本人が隠してきたことを僕が書いてしまうことに怖い部分もあります。でも、それ(出自)をバネにして彼は歌手として頑張ったんですから」。果たして、たかじんさんの出自と歌のつながりとは…。こちらも覚悟をもって、まもなく世に出る書を手に取りたい。
(デイリースポーツ・北村泰介)