“ぶれない男”黒田に届いた広島の熱意
一報を聞いても、にわかには信じられなかった。昨年末、米大リーグ、ヤンキースから8年ぶりに広島復帰を決めた黒田博樹投手(39)。21億円超のオファーを蹴って4億円プラス出来高を選んだ。
現在、ボクシング担当の記者は13年までカープ担当。「黒田カープ復帰」を取材するのは毎オフの恒例行事だった。4年を過ごしたドジャースをFAとなり、12年に世界一の名門ヤンキースに入団。あの時、もう広島に戻ることはないだろうと心の中で思っていた。
その決断をする11年オフが、今回を除けば最も古巣に心が傾いていた年だったと思う。記者は広島滞在中だった右腕を直撃した。「オファーはメジャー6球団、プラス広島」と明言。年俸では歯が立たないカープを同列に並べて悩んでいた。最初の広島在籍時以来久々に再会し、喫茶店で1時間。話す中、感じたのは前と変わらぬ真っすぐな人柄だった。
その頃、FAを取得した広瀬純外野手が将来の“コーチ手形”を約束され残留。その報道を知っており、「俺は、カープから一回もそんなこと言われたことないぞ」と、さみしがっていた。10億円超も稼ぐ男が、今更そこにこだわるのか!と思わず突っ込んだ。
黒田にとって一番の判断材料は、「自分がどれだけ必要とされるか」だ。06年にFA権を行使せず広島に残留した時も、ファンの残留を願う横断幕が決め手に。10年、3年契約の切れたドジャースと契約を延長したのも親友のクレイトン・カーショウ投手から「来年も一緒に」と言われた言葉が響いていた。
今回の決断にはカープ愛がもちろんある。ただ、ヤンキースの熱意の低さもあっただろう。昨オフ、ヤンキースは黒田に12、13年オフには出していたクオリファイング・オファー(FA選手が移籍した場合、移籍先の球団からドラフト指名権を得る)を出さなかった。契約社会の交渉術もあるのだろうが“必要ないのか?”と捉えられても仕方がなかった。
一方、広島の交渉役・鈴木清明球団本部長は毎オフ、「戻って来てくれ」とラブコールを送った。球場の模様を「ピンストライプ(ヤンキースのユニホーム柄)に変えようか」と言ったこともある。周囲は無謀とも思えるメジャー球団との戦いだが、黒田という男を知っているからこそ、熱意を訴え続けた。思いの詰まった4億円が17億円を捨てさせた。
「この試合で腕が壊れてもいい」と腹をくくりマウンドに上がるのが黒田。ぶれない男が野球人生の最後を懸けるのは、12球団で最も長い23年もリーグ優勝から遠ざかるチームだ。
(デイリースポーツ・荒木 司)