和田レフェリーを支えた馬場さんの言葉
全日本プロレスの14年最終戦となった昨年12月14日、後楽園ホールで和田京平名誉レフェリー(60)の「レフェリーデビュー40周年&還暦記念大会」が開催された。全7試合中、3試合を元気に裁いた和田名誉レフェリーは、メーン後のセレモニーで秋山準社長から赤いちゃんちゃんこ、潮崎豪選手会長からリングシューズが贈られ、目尻を下げた。
ファンからも、選手への歓声より大きい名物の「キョ~ヘ~イ!」コールとともに大量の紙テープで祝福され、「感無量です。選手会から(新品の)クツをもらってビックリしたけど、まだ10年やらないといけない。まだまだ頑張ります」とあいさつ。再び大歓声を浴びた。
「馬場さんについていたことが武器」と胸を張る全日本の生き字引。40年間での思い出の一戦を聞かれると「自分が還暦ということもあって、(故ジャイアント)馬場さんの還暦を迎えた試合を思い出す」と即答した。98年1月23日、馬場さんの60歳の誕生日当日に後楽園ホールで行われた記念試合、馬場&三沢光晴&マウナケア・モスマン対川田利明&小橋健太&渕正信。
翌99年1月31日に死去する馬場さんは、帰りの車の中で「京平、オレもまだできるな」と話したという。川田から強烈なサッカーボールキックを浴び、「あいつ(三沢、川田、小橋)ら、いつもあんなすごい試合してるのか。川田の蹴りは痛かった。電流が走った。アレを三沢たちは毎日食ってるんだな」と感心していたという。和田名誉レフェリーは「還暦というと、それを思い出す」と感慨深そうに話した。
「試合を面白くするのはレフェリー」という信念を持つ60歳は、まだまだリングへの意欲を見せる。「動けるし、体力的には問題ない。やめるとしたら精神的なものになる」と自信を見せた。40年間、数え切れないほどマットをたたいた左手は意外なほどきれいだ。「サポーターを巻くくらいならやめる」という“商売道具”の大きさは右手と変わらない。むしろ、左手を振り下ろすために傾けた体を支える、右腕から肩にかけて負担がかかると“職業病”を明かした。
40周年&還暦も通過点に過ぎない。11年6月にいったん離れながら、13年7月に“復帰”した愛する全日本のため、身を捧げる覚悟だ。生前、馬場さんから「リングではレフェリー、お前が一番強いんだ」と言い聞かされてきた和田名誉レフェリーは不可欠な存在。前人未到の50周年へ向け、いかつい選手にも容赦ない厳格なレフェリングで、今後も王道マットを支えていって欲しい。
(デイリースポーツ・大島一郎)