燕・新垣の新背番号『66』に込めた思い

 通算60勝の新垣渚はプロ13年目の2月をヤクルト2軍のキャンプ地である宮崎・西都で送っている。沖縄水産での高校時代は甲子園、九州共立大では神宮という全国舞台で活躍。150キロ台の速球でファンを魅了した“剛球右腕”は現在34歳。若手に混じり復活を目指して調整している。

 昨年7月、トレードでソフトバンクから移籍。プロ入り時にこだわったホークスを離れた。「一番は福岡(残留)がいいですけど、僕にとっては大チャンスだった。(ソフトバンクでは)チャンスがないというか、このままでは投げられないと実感していました。前向きに考えて頑張ろうという気持ちでした」と当時を振り返る。

 ホークス入団5年で49勝。先発ローテの1人として順調に白星を重ねた。しかし、以降は伸び悩んだ。武器だったスライダーの制球に苦しむようになった。プロ野球ワーストのシーズン25暴投(07年)、1試合5暴投(08年)、昨季はヤクルトでもリーグタイの1試合4暴投など、不名誉な記録で注目された。

 ヤクルト2年目の今季、新垣は新しい背番号『66』を背負う。途中加入した昨季は『45』だったが、オフになってさらに大きな番号への変更を球団に申し入れたのだった。

 移籍時に提示された番号は『13』と『45』だった。「僕としてはチームも変わったし、10番台はいいかなと。何か変えていこうという意味でも『45』にした」と説明。しかし、先発2試合を含めて与えられたチャンスを生かせなかった。それどころか、四死球と暴投を乱発し、制球難のイメージを拭い去ることはできなかった。

 「あそこで結果を残していれば、今年は違う印象でチームにいい期待感を持たせることができたかなというのはあった。あまりにも結果が出なかった」と自身のふがいなさを悔やむ。

 オフに真田裕貴(現BC・福島)が戦力外になったことで『66』が空いた。「『18』以外なら、1回くらいはつけてみたいと思っていた」という憧れの番号だ。球団からは「本当にそれでいいのか?」と確認されたが、新垣の意志は固かった。

 『66』といえば沢村賞2度受賞したホークスの大エース、斉藤和巳氏(現評論家)の代名詞だ。「『66』にはカズミさんのイメージしかないですけど、格好よかったし、たくましかった。僕の中では『18』と変わらないくらい価値のある番号」と新背番号への思いを熱く語る。変更意図については「皆、ある程度分かってもらっていると思うし、あまり聞かれないです。勝手に解釈してもらっています」という。

 新垣から斉藤氏にあらためて連絡はしていないが、今年の年賀状には「『66』がどんなものかつけてみます」と書き添えた。キャンプ取材で宮崎を訪れた同氏と時間をともにする機会があったが、特に何も言われなかった。「もともとカズミさんもあれこれ言う人ではない。あとは僕が頑張って、カズミさんが喜べばうれしいかなと思う」。斉藤“先輩”にはマウンドでの投球で示す覚悟だ。

 身長192センチの斉藤氏に対して、新垣も190センチある。ユニホームこそ違えど、長身の大きな背中に『66』がとてもよく似合う。新調されたグラブやウエアなど、あらゆるものに『66』の刺しゅうが入っている。「僕のファンの方にも『18』を着てなくても、『66』を着てまた喜んでもらえたらと思います」と決意をにじませる。

 そして、03年から新垣の番号だったホークスの『18』は同級生で親交の深い松坂大輔が継承する。当時のダイエーに、新垣は早大・和田毅(現カブス)と自由獲得枠で同期入団だった。ともに大学時代は『18』だったが、ホークスでもエースナンバーを背負ったのは新垣だった。愛着と思い入れのある番号だけに「知らない人がつけるよりは、(松坂)大輔でよかったです」と素直に喜んでいる。

 今キャンプの新垣は順調だ。ブルペン投球は「意外と投げています。僕としては悪くないペースだと思います。抜いているわけでもない。できる限りのことをしていくつもりです」と話す表情は明るい。

 「僕としてはとりあえず1軍で投げ続けることだと思う。頑張って上にいることが今年の目標。あとはチームが一つでも順位を上げて優勝できればいい」と新天地2年目の抱負を口にする。ヤクルトは真中新監督の下、前年最下位からの頂点を狙う。新垣もどん底からはい上がり、生まれ変わった“『66』番の新垣”をアピールする。(デイリースポーツ・斉藤章平)

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