新人・鮫島克駿 父の背中を追いかけて
競馬はブラッドスポーツといわれる。馬だけじゃない。騎手も血の結びつきが強く、兄弟ジョッキーも多い。現役なら、藤岡佑介、康太、吉田豊、隼人らに、国分恭介、優作、柴田大知、未崎といった双子もいる。
また、武豊、幸四郎、ミルコ、クリスチャンのデムーロ兄弟のように、父がジョッキーのケースも。1日、JRA騎手デビューを果たし、14日に初勝利を挙げた新人・鮫島克駿=かつま(18)=栗東・浅見=がこう話す。「父が騎手じゃなかったらボクも(騎手を)やってなかったと思います。物心がついた時から目指していました」。父の背を追い掛けて、憧れの舞台に立った一人だ。
10歳離れた兄・良太もJRAジョッキーとして活躍中。そして、その父は佐賀No.1ジョッキー鮫島克也だ。07年3月には騎乗機会10連勝の連続勝利記録を樹立し、11年に地方通算4000勝を記録。93年、95~03年とNARグランプリ優秀騎手賞を10回獲得した佐賀競馬の英雄は“キングシャーク”の愛称で慕われている。
01年の第15回ワールドスーパージョッキーズシリーズは鮫島克也が総合優勝した。4歳だった克駿は母親に連れられ阪神競馬場で応援していたという。「土曜は勝てなかったけど、日曜に2勝したんです。馬名も覚えていますよ。マルブツグローバル。人気薄の馬だったけど、内から差してきて逆転優勝。表彰式でシャンパンファイトがあって。“かっこいい”“ジョッキーになりたいなぁ”って思いました。鮮明に覚えていますね」。まだあどけなさが残る18歳の騎手1年生は、目を輝かせながら当時の様子を振り返る。
父が騎手だからといって、レールが引かれているわけではない。4歳の時の直感を信じ、ジョッキーに続く道をがむしゃらに突き進んだ。「父からジョッキーになれ、と言われたことはないですね。ただ、小さいころに“なりたい”という気持ちは伝えていたんでしょうね。だから、サポートをしてもらいました。小学校5年生からは乗馬クラブ。そして、内田(博幸)さんや、三浦(皇成)さんが器械体操を習っていたと教えてもらい、地元の器械体操クラブにも通いました」。細い体だった少年は馬乗りに必要な筋肉をつけ、ジョッキー体形に変わっていった。
競馬学校では自らの騎乗を録画したDVDを手渡され、騎手課程生徒たちは日々、自分で騎乗フォームをチェックする。「そのDVDを父に送って、電話でアドバイスをもらったりしていました。今も、競馬が終わった日曜には電話で“こう乗った方が良かったんじゃないか?”と言ってくれます。でも、小さいころから怒られた記憶はないんですよね」。誰よりも尊敬する騎手のバックアップを受けながら、この先も腕を磨いていく。
“子供は親の背中を見て育つ”という。「父はトレーニングや、パソコンでレース映像を見ることを今でもずっと続けている。それで結果を出していますからね。小さいころから、そういった貪欲な姿を目の当たりにしてきたので…」。先輩でもあり、父でもあり。デビュー39年目を迎え52歳になった今も現役で輝き続けるレジェンドは、克駿の憧れの存在だ。克也と良太、克駿の鮫島親子がレースで一緒に乗る日も近いだろう。そして、いつの日か、ワールドスーパージョッキーズシリーズで対決するシーンも見たいものだ。
(デイリースポーツ・井上達也)