寿以輝が受け継いだもう一つの遺伝子
会場の熱気が、あの熱かった時代をフラッシュバックさせた。4月16日、元世界バンタム級王者、辰吉丈一郎(44)の次男、寿以輝が2回KO勝ちで鮮烈デビューを飾った。
1990年代、ボクシング界は「辰吉の時代」だった。父子2人の生い立ち、わずか4戦目での日本王座獲得から当時最短となる8戦目での世界王座奪取。度重なる眼疾、国外での試合、ルール改正からの復帰、薬師寺戦、そして3度目の載冠。何度も立ち上がる“浪速のジョー”にファンは熱狂した。
そばには常に、妻のるみさん(49)の姿があった。姉さん女房は夫がたとえ試合に勝っても決してほめることはない。「帰って息子のおしめ替えてもらいます。ボクシングしてるのはあの人の勝手でしょ。休ませませんよ」。こちらが望む優しい妻のエピソードがその口から語られることはない。実際チャンプは「自分がやりたいから」と家族の朝食を毎朝つくり、試合の夜も腫れた顔で子供を風呂に入れていた。
1996年3月3日。横浜アリーナはジョーの王座奪回を期待する1万7000人観衆で超満員となっていた。しかし、メキシコの英雄、WBC世界スーパーバンタム級王者、ダニエル・サラゴサ(当時)に挑戦した丈一郎は、11回TKO負け。壮絶な流血ファイトは3度目のドクターチェックで止められた。「まだやれる!」とレフェリーにすがる挑戦者を振り切って、激戦は幕を閉じた。
リング上でファンに土下座し、控室に戻った丈一郎。日本中が注目した一戦で敗者のコメントを取ろうと、報道陣は大挙して控室の前に集まった。しかし、傷口の治療のため、扉は閉められたまま。締め切り時間を気にして報道陣が慌て始めた時、そこに現れたのがるみさんだった。
「みなさん、お待たせしてすいません。私の言葉は辰吉の言葉と思ってもらってかまいません。何でも聞いてください」。どんな試合をしようとも丈一郎がその結果から逃げることはなかった。血みどろで倒れた夫に代わり、ファンへの責任を担ったのだ。
静かな気迫に、殺気立っていた記者たちが静まりかえったのを覚えている。そしてその時、夫人のおなかにいたのが第2子である寿以輝だった。
息子の試合を見届けて素っ気なく席を立った父と対照的に、リングサイドであふれる涙を止められなかったるみさん。「息子となると気持ちが全然違うよ。この私が減量食もつくったしね」と泣きながら照れ笑いした。
寿以輝が憧れるボクサーの一人はサラゴサだという。父がたたきのめされた相手を好きだというところは、母の強気に似ている。想像を絶する重圧を乗り越えたデビュー戦。KO劇を生んだのは、偉大な父から受け継いだ才能だけでなく、肝っ玉の座った母の遺伝子だと思わずにはいられない。(デイリースポーツ・船曳陽子)