10歳木原美悠、打倒みうみまで五輪へ
卓球の国際大会、荻村杯ジャパン・オープンが6月24~28日に神戸で行われ、21歳以下女子シングルスでは、地元兵庫・明石の二見西小5年、木原美悠(10)=ALL STAR=が出場した。
1月の全日本選手権では大会最年少としてジュニアの部に出場し、高校生を次々と破り4回戦まで進出。それから半年を経て、身長も伸び、顔つきもたくましくなり、よりアスリートらしくなったように映った。
勝てば11年の平野美宇(当時11歳で1勝)を抜いて大会最年少勝利となる初戦は、相手の負傷による不戦勝。“タナボタ星”で記録上は達成したが、真の“美宇超え”を果たしたとは言えなかった。
この1勝により本戦に進んだが、1回戦の相手はいきなり世界ランク65位のシンガポール選手。未来のホープとはいえ、あくまで地元推薦で出場した小学生が、世界ランク100位以内の海外選手から1ゲームも取るのはさすがに困難だと思われた。
そのような周囲の大人たちの皮算用をよそに、木原は序盤から涼しい顔で積極的に打ち込んでいく。あれよ、あれよとポイントを積み重ねると、あっさり第1ゲームを先取。続く第2ゲームも次々とスマッシュが決まり連取した。「もう1ゲーム取って、勝てると思った」。戦況を見つめる大人たちの手にも汗が握られだしたが、そこからは修正してきた相手に徐々に対応され、逆転で3ゲームを連取されて力尽きた。
敗れはしたものの、格上の海外選手からの2ゲーム奪取は殊勲だ。木原は「相手が打ちミスをしてくれた」と振り返るが、ミスをするまで打ち合ったのは、ただの幸運ではない。
「やる前は1ゲームも取れるとは全く思いませんでした」とはコーチを務めた父・博生さんの弁。「普段はにぎやかで普通の子やけど、大一番でも緊張しないタイプで試合でもポーカーフェース。相手が強い方が燃える」とまな娘の強心臓をたたえた。
小学生の部で全国の頂点に立った木原の将来の夢は「国際大会で金メダルを取ること」。特にオリンピックに出場することを大目標に据えている。しかし、達成するためには、まずは国内での競争に勝つ必要がある。
日本の女子卓球界は今、まさに戦国時代だ。エース石川佳純を筆頭に、第一人者の福原愛、平野早矢香、そして中学3年生の成長株である伊藤美誠、平野美宇らが世界ランク20位以内にひしめいている。その中から五輪に出場できるのはわずか3人。それ以外にも、10代からベテランまでひしめき合い、レベルの高い競争を繰り広げている。
父・博生さんは木原の4学年上にあたる“みうみま”の活躍を、ただ指をくわえて見ていてはいけないと強調する。「オリンピックに出るには(伊藤、平野美の2人も)抜かなあかん」。高校1年生で迎える20年東京五輪で勝負する上でも、「海外ランクを上げていかないと」と青写真を描いている。
その最初の試金石となったのが今回の大会だった。各上の海外選手について「スピードがすごかった」と本人談。父も「海外選手との試合をやり込んで、パワーに対応しないといけない」と課題を明確にした。
現在、小学5年生。卒業後の進路について博生さんは、指導者としての気持ちと親心とが入り交じった表情で話した。「強くなれるのなら、しっかり教えてくれるところなら、親元を離れてもいい。(自身が)教室もやっているので1人だけにかかり切ることはできない」。国を代表するアスリートは総じて、一般に比べて親離れの時が早く訪れるのかもしれない。
今はまだ木原の活躍をメディアが報じる際、“最年少”や“天才少女”という言葉が並ぶ。ただ、かつての福原、石川、伊藤、平野美らがそうだったように、そんな冠が陳腐になるほどの実績を残して、近い将来、先輩たちのライバルと称される日が来ることを期待したい。(デイリースポーツ・藤川資野)