服部力斗、亡き弟の目標世界王者の道へ
慢性骨髄性白血病で2月24日に死去した17歳のプロボクサー・服部海斗さんの兄・力斗(20)=大成=が、弟が目標とした「世界王者」への道を歩み始めた。
弟が生きてさえいれば、追うはずのない夢だった。アマチュアボクサーだった父・兼司さんに連れられ、幼少期に兄弟でボクシングを始めた。兄の目からも才能にあふれた弟。誓ったのは「将来、絶対に同じリングに立つこと」だった。
力斗は祖母のいる熊本のジムからプロデビュー。「将来、サポートができれば」と、自らは弟の援護射撃をすると考えていた。
だが、まさか、弟の病。さらに弟の死から8日後、母・佳代さん(享年45)も肝臓病で死去。「どうしていいか分からなかった」と兄は打ちひしがれた。
弟が所属した大成ジムに移籍し、6月7日の追悼試合で弟の名を刻んだシューズを履き判定勝利で飾った。「同じリングに立つ」という約束は果たした。区切りとし、選手を引退することも熟考したが「兄がベルトを獲れば喜んでくれる」と、終われなかった。
7月上旬、大成ジムのある兵庫県三田市に引っ越しした。弟がボクシング一本に打ち込んだ街。飲食店の仕事も始め、弟がともに汗を流した僚友らと、すぐに打ち解けた。
「練習の量も密度も濃い。こんなにボクシングに打ち込んだことはない。自分が日に日に強くなっているのが分かる。今の僕は自信に満ちあふれている」。弟のこなしてきた練習のすごさに驚きながら、自らの成長を実感している。
「だいぶ落ち着きました。でも今は1人暮らしなので夜になるとダメですね」。弟と最後に交わした会話を毎日のように思い出す。
失っていた意識が1週間ぶりに回復した2月15日。病室に行くと手を差し出され「握って」と言われた。手を握ると「きつかった」と弟は号泣した。1年に及ぶ闘病中、初めて見せた涙。弟が死の間際に感じた恐怖を忘れたことはない。
大阪の実家に2週間に1度、戻っては弟の骨つぼをなでて現状を報告する。「1日に8回は海斗に手を合わせる」と、悲しみは今も癒えはしない。
まだ20歳。自らの人生とは切り離さないと、つらくなるのでは?との問いにはキッパリと言う。「一生、周りから言われるし、一生、背負っていく。全然、つらくない。有名になれたのも海斗のおかげ。重たい方がプレッシャーがあった方が負けられない。僕が勝ち続ければ、海斗も忘れられない。それが一番うれしい。(海斗の記憶が)薄くなって欲しくない。僕とセットなので、僕が勝ったら思い出してもらえる」。
12日には次戦を発表し、プロ3戦3勝の力斗は10月9日、大阪・阿倍野区民センターで3勝1敗の前田尊明(32)=真正=を相手にライトフライ級で4回戦を行う。
「15日は海斗の初盆。盆には(天国から)帰って来ると言うし、試合が決まったことを報告して、海斗とまた頑張りたい。『早いことA級ボクサーになって、大舞台に立てるように頑張るわ』と海斗には言います」と弟の思いを背負い、戦う覚悟は決まった。
告別式では丸元大成会長の東洋太平洋王座ベルトが海斗の棺(ひつぎ)に贈られた。「会長のと2本そろえたい」と、長兄として東洋ベルトを天国に捧げるのが、まず第1の目標。「来年にランカーに入って、その後に東洋タイトル挑戦。いずれは世界王者になる」。海斗の物語は兄が引き継ぎ続いていく。
(デイリースポーツ・荒木 司)
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