【野球】阪神OB大野久氏の壮大な挑戦
阪神2軍のホームグラウンド・鳴尾浜球場。秋季練習休日の11月6日正午過ぎ、2人の男性と一人の女性が訪れた。到着するやいなや、男性の一人が阪神の縦じまのユニホームに着替え始めた。
背番号「2」。
阪神の現在の背番号「2」といえば北條史也内野手だが、もちろん違う。入社1年目、阪神担当1年生、24歳の私には、それが誰なのかはすぐに分からなかった。近くにいた阪神関係者に確認して、OBの大野久氏(55)だということを知った。
外野手だった同氏は阪神前監督・和田豊氏らと「少年隊」を結成するなど、90年まで阪神に在籍。翌年、ダイエー(現ソフトバンク)に移籍すると、同年に42盗塁でタイトルを獲得した。95年に中日へ移籍し、その年限りで現役を引退。その後は中日2軍コーチを経て、教員免許を取得した上で東洋大牛久高野球部監督を10年間務めた。
昨年までは豪州・ロビーナハイスクール野球科コーチを務めていた。鳴尾浜に来た目的は、日本の中学生向けのホームページに載せる写真撮影だった。
「向こう(豪州)の学校を紹介して、行ってもらうためです。まだ作っている段階ですけどね」。現在の主な仕事は大学生への企業セミナーを実施する事だが、その一方で海外生活によって培ったコネクションを生かした紹介事業にも携わっているという。
異国では指導者としての技量を高め、コーチの資格も習得した。「6まである中でのレベル4です。向こうのプロの選手も教えられます」。ヤクルトのミッチ・デニング外野手や、3大会連続でWBC豪州代表監督を務めているジョン・ディーブル氏との出会いもあった。その中で日本とは文化の違う野球を発見したという。
「日本で高校教師をしていたとき、野球をやめてしまう子がどうしても多かった。練習がきつかったり、監督や先輩と合わなかったりでね…」。才能がありながらも挫折してしまう生徒を何人も見てきた。
一方、豪州の野球少年は目を輝かせて白球を追いかけていた。聖地・甲子園は目指せないが、違った形の野球があってもいいのではないか-。野球を嫌いになってしまった環境を改善したいとの想いから壮大な事業を立ち上げた。
大野氏の活動は始まったばかり。誰も歩んだことのない道だけに、平たんではないだろう。だが、いつの日か地道な活動が実を結めば“逆輸入”型のプロ野球選手が誕生する可能性は十分にある。日本ではなく豪州の高校で経験を積んだ彼らが、日本球界に新たな風を巻き起こすかもしれない。(デイリースポーツ・山本祐大)