【スポーツ】長谷川穂積から亡き母への最高のプレゼント
ボクシングのWBC世界スーパーバンタム級王者・長谷川穂積(36)=真正=が今月9日に引退を表明した。記者会見場の片隅でこっそりと会見を見守ったのは、妻の泰子さんだ。激戦に次ぐ激戦の夫を見守り続けた心中は、想像を絶する。
試合会場では常にていねいに取材に応じてくれる泰子さんだが、この日は人知れず会見場を後にした。長谷川は妻について「一緒に戦ってきた」と語ったが、泰子さんも“引退”の感慨を一人かみしめたのだろう。
長谷川を見守り続けたもう一人の女性がいる。2010年にガンで亡くなった母の裕美子さんだ。55歳の若さだった。入退院を繰り返しながらも、最後まで試合会場に足を運んでいた。
いつも明るくコロコロと笑っている人で、記者も闘病中であることをつい忘れてしまうほどだった。もともとふっくらとした“お母ちゃん”。試合会場で声をかけると「ガンだ、病気だと知られているのに全然やせないから恥ずかしいわ」と言って笑わせた。
10年4月のモンティエル戦では、10度防衛した息子のKO負けを目の当たりにしても「まだまだこれからですよ。大丈夫!」と報道陣を励ました。これがリングサイドでの最後の試合となった。
その試合前に聞いた裕美子さんの悩みは、今も忘れられない。「もういいと何度も言ってるんだけど、穂積は聞かないの。私は十分にしてもらった。あとは自分たちのために使いなさいと言っているんだけどね」
当時、長谷川は母に1回数百万円という先端医療の治療費を出していた。高額な治療は必要ないと言っても、本人が聞かないと言うのだ。自身の生死に関わる話を、まるで井戸端会議のように話す裕美子さんの強さにこちらは言葉を失った。息子を思う気持ちに胸が熱くなった。
引退が決まった後、長谷川の父大二郎さんから聞いた。裕美子さんは死が近づくにつれ「死にたくない」「まだ生きたい」とよく泣いたそうだ。その無念は自身の人生へというよりむしろ、無冠になってしまった息子を支えなければという母心ではなかったか。
裕美子さんは、息子が打たれず、きれいな顔で終わる試合が好きだった。引退会見で長谷川は「無事で健康で変わらずいろんなことに挑戦できる。このまま引退できたのを喜んでくれている」と天国の母の思いを代弁した。王者としての引退は、息子から母への最高のプレゼントだった。(デイリースポーツ・船曳陽子)