【競馬】最強マイラーが築いた功績と名伯楽の抱く思い
最強マイラーといえば-。最近の若い競馬ファンなら、16年に引退したモーリス(国内外でG1を6勝)を連想するだろうか。だが私のような30代半ばのオールド(?)ファンなら、ほとんどの方が共通して、ある馬を連想するのに違いない。
タイキシャトル。父デヴィルズバックの外国産馬で、国内外でG1を5勝するなど90年代後半に活躍した栗毛の最強マイラーとして知られている。その競走生活のハイライトは、主戦の岡部幸雄騎手が涙を流した98年ジャック・ル・マロワ賞(仏国・G1)。藤沢和雄調教師は「素晴らしい馬だった。フランス人が大事にしている伝統のG1を勝ったのだからね。英国馬も愛国馬も負かしたよ」と胸を張る。
由緒ある海外の大レースを制した功績がたたえられ、98年には短距離馬として史上初の年度代表馬に輝いた。「海外帰りのマイルCSではステッキ一発で楽勝してくれたし、不良馬場の安田記念でも香港馬を全く相手にしなかった。そういう馬じゃないと海外では通用しなかったということだろうね」。今年悲願のダービー制覇を決めた名伯楽にとっても忘れがたい一頭だ。
ただ、ひとつだけ後悔がある。「天皇賞(・秋)に使えなかったのは、今でも泣き言をいわせてもらっているよ。当時、毎日王冠を使うプランもあったけど…」。00年まで外国産馬の出走を拒んでいた天皇賞。もし参戦が実現していたら、距離の壁を越えていたのだろうか。その問いに対し、「シャトルが二千でも強かったという思いは、今でも抱いている」ときっぱりと言い切った。
父としてはメイショウボーラー(05年フェブラリーS)、ウインクリューガー(03年NHKマイルC)など、芝ダート問わず活躍馬を輩出。それも23歳を迎えた今年、種牡馬としての仕事を終え、功労馬として余生を送ることが決まった。
昨今では頻繁に行われるようになった海外遠征だが、それまでの日本馬は幾度も壁にはね返され続けていた。その壁を乗り越え、先駆者の一頭として道を切り開いた。数年、数十年先まで語り継がれるべき存在。私のなかでの最強マイラーは、いくつになっても変わらない。(デイリースポーツ・刀根善郎)