レジェンド兄弟助っ人の弟が抱く日米野球界への恩返し計画 引退後に日本で監督就任→志半ばで解任通告も

 ロッテオリオンズなどで活躍したレジェンド助っ人、レオン・リー氏。70歳を過ぎ、故郷のサクラメントでスポーツ殿堂入りした同氏は今、アメリカと日本の野球に〝架け橋〟を築こうとしている。

 1977年、兄のレロン・リーがロッテでデビュー。その翌年に弟である自身も入団し、日本での10年間をスタートさせた。ロッテで5年、大洋(現DeNA)で3年、そしてヤクルトでの2年を経て、87年を最後に現役引退。NPB史上11位の通算打率・308(1位は兄・レロンの打率・320)をはじめ、268本塁打、2度のベストナイン受賞などレジェンドと呼ぶに相応しい成績を残している。

 「3チームとも良い思い出があるよ」とレオン氏。「兄のレロンと同じチームでプレーするのが夢だったので、日本での現役時代は特別でした。特にロッテでの僕らはチームメイトとして本当に良いパフォーマンスができた。最初の年は兄が打率・3167で僕は・3163。その2年後には僕が41本塁打、兄が33本塁打だったんだ」

 球場外でも兄弟は時間を共にし、趣味の音楽でレコーディングをしたことも。その後、レオン氏は大洋にトレードとなったが、これも自身にとっては良い決断だったと振り返る。

 「故郷に近い感覚」と語るように家族も日本での生活に順応。ちなみに長男で元メジャーリーガーのデレク氏は、父のヤクルト時代を記憶しているという。彼は2023年6月、娘(つまりレオン氏の孫)の高校卒業を祝って家族全員で日本を訪問。この旅行中には、父がオリックスで監督、コーチを務めた時の〝恩人〟横田昭作通訳に歓迎されたという。

 03年、オリックス打撃コーチに就任したレオン氏だったが、シーズン序盤にGMのオフィスへと呼ばれ「明日から監督になってくれ」と思いもよらぬ打診を受けた。就任後はメディア対応の機会が激増。急きょ、通訳の肩書きを背負うことになったのが横田氏だった。

 「打撃コーチとして彼は野手のためのゲームプランを持って仕事に取り組んでいたが、投手陣とはほぼ関係がなかった。突然、監督就任となったことでチーム全体を考える必要が出てきた。気の毒に感じました」(横田氏)

 結局この年は最下位。翌年のリベンジを誓っていたが、シーズン終了直後に解任通告を受けた。同時に打撃コーチ就任を要請され、いったんは受諾したものの春季キャンプ直前に「家庭の事情」で退団。帰国後はメッツ傘下のマイナーで監督を務めるも、ある告発を受けて任期は短く終わった。その後、告発は偽りであると証明されたというが、名誉回復の機会がないまま再び野球から離れてしまった。

 あまりに不運な監督解任の連続。それでも野球への思いは消えなかった。近年は知人と提携してNPO「Dream Alive Vision」を立ち上げ、貧困層の子供たちに無料で野球に取り組む機会を提供。「野球に触れるアフリカ系アメリカ人はあまりにも少ないけど、Dream Aliveはその問題を解消しようとしている」とその意義を語る。

 新たな野望も抱く。ここ数年でMLB各球団がアリゾナ州ツーソンでの春季トレーニングから撤退したことを受け、同地に新しいウインターリーグを創設する計画だ。そのリーグにNPBに所属する若手選手を参加させたいと願っている。「私はすべての準備に携わり、ツーソンの施設を使用する許可を得ました。若い日本選手にも数多くのプレー機会を与えたい」。さらに「私はツーソンを〝野球地図〟に戻したい。野球好きの住民たちも日本の選手を見ることを喜ぶことでしょう」と熱い思いを口にする。

 野望には続きがある。「元NPBのスター選手たちに、ツーソンでの若手への指導を提案したい。実現すれば素晴らしい広報の機会となり、日本からの観光客を引き寄せるかもしれません。元スターたちは才能ある若手のプレーを目にすることができ、選手たちもかつての名選手から指導を受け、英語を学び、地元のエリアを発見することができます。素晴らしい文化交流になるでしょう」

 同氏は今年中の日本訪問を計画中。現役時代の10年間で築いたコネクションを通じ、このアイデアを提案したいと考えている。71歳を迎えたかつてのレジェンド助っ人。苦難を乗り越えた彼にとって、野球への最大の貢献は「これから」となるのでしょうか。(取材=トレバー・レイチュラ)

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