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沖縄プロレスを忘れさせたくない…

2013年8月19日

 カンムリワシ用高(左)に、こん身のエルボーを打ち込むエイサー8

 カンムリワシ用高(左)に、こん身のエルボーを打ち込むエイサー8

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 「5年という“区切り”に何かやりたかったんです。また沖縄プロの人たちと会いたかったですし。自分が(スペル・)デルフィン社長のほうにお願いしに行ったら、じゃあお前がやってみろ、と。今回の大会は、僕が全てプロデュースさせていただきました」

 本来なら沖縄で行うべき節目の大会だが、大阪の開催になったのは実現を最優先させたから。準備やプロモーション活動の費用、さらにメンバーが全国に散らばっていることを考えると「沖縄での開催は現在の状況では難しい」との結論に至った。当日までエイサー8は東奔西走。多くの難関をクリアし、ついにこの日を迎えた。

 「今回、あれだけのメンバーのスケジュールを合わせることができたのは本当に奇跡的。開催日も8月18日、エイサー8の日なので(笑)。神様が運をくれたのかな」

◆大切な4年間…沖縄での経験

 元々、沖縄プロ入りはエイサー8自身が希望したことではなかった。高校3年生で大阪プロの入門テストを受けたが、卒業後いざ入団という時に沖縄プロ旗揚げ話が浮上。言われるままに沖縄へと移住する。デビュー直前にマスクと太鼓を渡され、リングネームは末広がりの「8」をつけたエイサー8に決まった。エイサーのキャラクターには抵抗はなかったが、当初は地元の人から厳しい言葉を浴びせられることもあったという。

 「マスクをつけて営業に行ったりしても、言葉のイントネーションで沖縄の人間ではないことが分かってしまう。特にお年を召した方から“ないちゃー(県外の人)なのに、なぜ沖縄を名乗っているんだ”と。応援してくれる方も多かったですが、厳しい目もあったことは確かです」

 集客が伸びず苦戦が続いたが、それでもエイサー8をはじめ、沖縄プロのレスラーたちは腐ることなく全力でプロレスに取り組んだ。しかし12年の夏、ついに常設会場の閉鎖が決まった。努力は報われず、沖縄の人たちに認められることはできなかったのか。

 だが団体の活動休止直前、12年8月4日に行われたビッグマッチ「闘人(ばとるんちゅ)」のエンディング。客席を見渡したエイサー8は、その光景に胸を震わせた。

 「興行の最後の最後で、沢山のお客さんが涙してくれていたんです。それを見た時、4年間毎日試合してたから“あいつら頑張ってるな”って、認めてもらえたのかな、と思いましたね」

 レスラーとしても、人間としても認められようと切磋琢磨を続けた大切な4年間。エイサー8にとって沖縄プロで過ごした時間は、何ものにも代えがたいものなのだ。

◆最高の舞台で憧れの先輩と一騎打ち

 5周年大会の会場は予想以上の客入り。この日を待ち望んでいたファンも沖縄から多数駆けつけ、大きな声援を送った。笑いあり、激しさあり。国際通りの小さな会場で行われていた沖縄プロのリングが、1年ぶりに“復活”した。

 セミの6人タッグマッチには、団体の絶対王者だった怪人・ハブ男が登場した。沖縄プロ活動休止後はフリーに転身、リングネームこそ英字表記の「HUB」に変更したが、ハブのキャラクターを継続している。この日は一日限定で旧名に戻しての参戦だ。「自分の中では、旗揚げからずっと引っ張ってきた“オレの団体”くらいの思いでやってきたので。もう引退するまでずっと“ハブ”です」。沖縄プロのマークがついたマスクを着用していたことを聞かれると「今日のために作りました」と笑った。

 エイサー8はメーンイベントで、09年8月まで沖縄プロ所属だったカンムリワシ用高と一騎打ちを行った。「練習生時代、いちばん練習を見てくれた人のひとり」というが、エイサー8のデビュー後間もなく退団してしまったため、ほとんど対戦経験がない。「4年間、自分が沖縄プロレスで積み重ねてきたものを、用高さんにぶつけたかった」。最高の舞台で夢が実現した。

 憧れの先輩と一歩も引かない打撃戦を展開。ひとつひとつの技に思いを込めて打ち込んでいった。必死に食らいついていったが、地力の差は埋められず。強烈な“世界のワン・ツー”を浴び、最後はジャーマン・スープレックス・ホールドで3カウントを聞いた。それでも実力者に 「あいつの成長を感じて本当に嬉しかった。そろそろヤバい(追いつかれる)かも、って。自分も頑張らないといけないと思いました」と言わしめる奮闘だった。

 しばらく立てないほどのダメージを受けたエイサー8だったが、大会を締めるのもプロデューサーの役目。マイクを握ると「5周年が終わって、次はいつになるか分かりませんけど…皆さん、沖縄プロレスのことは絶対に、絶対に忘れないでください!」と絶叫し、大歓声を浴びた。

◆「忘れてほしくない」沖縄プロへの熱い思い

 試合後は「用高さんの打撃は一撃一撃が重すぎてダメージが凄かった。でも闘志は失わずに向かっていけた。今の自分をぶつけることはできました」と語ったエイサー8。その表情は充実感に満ちていた。

 「僕というレスラーが生まれた場所も、育った場所も沖縄プロレス。思い入れのある団体がプロレス界からなくならないようにしたい。忘れてほしくない。エイサー8というレスラーを続けていくからには、沖縄プロレス所属という肩書きでリングに上がります」

 わずか4年間で活動を休止した沖縄プロ。しかしそこで刻まれた思いはレスラーの、ファンの胸に…消えることなく、熱く熱く生き続けている。

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