ファイティング原田氏に旭日小綬章、喜びと苦労語る「トイレの水さえ飲みたいと…」

 政府は3日付で2016年秋の叙勲受章者を発表し、芸術文化分野から元プロボクサーのファイティング原田(本名・原田政彦)氏(73)らが旭日小綬章に決定した。プロボクサーの叙勲は1995年、日本初の世界チャンピオン・白井義男氏(故人)以来2人目。

  ◇  ◇

 原田氏は横浜市内のジムで「素晴らしい賞をいただいた。賞はたくさんもらったが、一番うれしい」と目を細めて喜びを表した。穏やかな笑顔からは想像できない負けじ魂の人だ。

 1962年10月10日、ポーン・キングピッチ(タイ)を11回KOで破り、19歳で世界フライ級王座を獲得。65年には、47連勝無敗で「黄金のバンタム」の異名を持つエデル・ジョフレ(ブラジル)を判定で下し、日本人初となる世界2階級制覇の偉業を達成した。

 ゴングと同時に飛び出し、パンチを出し続けるファイトスタイルは「ラッシュ」と呼ばれ、高度成長期の日本の背中を押した。テレビで原田の試合が始まると、町の銭湯はガラガラになったという。だれもがファイティング原田を応援した。

 中学生から米の配達のアルバイトをした。強い足腰、腕っ節の下地はこのときにつくられた。「子供のころ、世に出るには金か栄光か勉強かの三つだけ。勉強は好きじゃないし、金は後からでいい。ボクシングで栄光をつかもうと思った」と一念発起。笹崎ジムに入門した。

 だが、太りやすい体質で「20キロ以上落としたこともあります」と、栄光の裏側には過酷な減量との闘いもあった。誘惑に負けて水を飲まぬよう、寝泊まりしていたジムの蛇口は針金で縛ってあった。「トイレの水さえ飲みたいと思った」というほど、飢えと渇きに耐えた。「我慢は根性しかなかった」。

 計量終了後の楽しみといえば食事だが「大好きな肉だって、そのままでは体が受け付けない。行きつけだったレストラン『たいめいけん』(東京・日本橋)が、野菜も肉もみんなスープにして出してくれました」と懐かしそうに振り返った。

 ボクシング史に名を刻んだだけでなく、現役時代から刑務所や少年院、老人介護施設などへの慰問や講演活動も行っている。「ボクシングではないけど頑張ってます、なんて手紙がうれしい」と返ってくる手応えを喜ぶ。

 他に仕事のない限り「道場」(ジム)には毎日顔を出し、後進の指導に当たる。これからの夢を問われると「自分ができなかった3階級制覇のチャンピオンを育てたいね」と、迷わずに答えた。

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 ファイティング原田(本名=原田政彦、はらだ・まさひこ)1943年4月5日、東京都世田谷区出身。ファイティング原田ジム会長。58年、笹崎ジム入門。62年10月10日、ポーン・キングピッチを11回KOで下し19歳6カ月で史上最年少の世界フライ級王者となる。65年5月18日、47連勝無敗の「黄金のバンタム」エデル・ジョフレ(ブラジル)に15回判定勝ちし世界バンタム級王者となり、日本史上初の2階級制覇を達成し4度防衛。70年、現役引退。通算56勝(23KO)7敗。89年、全日本ボクシング協会会長に就任、7期21年を務める。90年、日本人として初めて国際ボクシング殿堂入り。10年、日本プロボクシング協会終身名誉会長就任。「ファイティング-」のリングネームは、JBCで欠名扱い。

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