【連載・上】手倉森JAPAN難航したOA枠…ハリル協力も表面上だけ
「手倉森JAPAN 敗退の裏側・上」
サッカー男子で48年ぶりのメダル獲得を目指した日本代表は1次リーグB組を1勝1分け1敗の3位で終え、2大会ぶりの1次リーグ敗退に終わった。最終予選でアジアの頂点まで駆け上がった手倉森ジャパンが、世界の大舞台で勝てなかった理由を2回に分けて検証する。
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無残に守備網を切り裂かれた。最重要視していた初戦のナイジェリア戦でチーム結成以降最多の5失点。ほぼ全ての失点にオーバーエージ(OA)枠の選手が絡み、つたない連係を露呈した。
塩谷、藤春と4バック中2人にOA枠を起用したDFラインは繊細な連係にひずみを生じさせ、最終予選6試合4失点と安定感を誇った守備が根幹から崩れた。ある選手はOA枠について「思うところはあるけど仕方がない」と複雑な心中も口にした。
当初、手倉森監督はOA枠にDF長友佑都(インテル・ミラノ)らA代表主力の欧州組を熱望していたが、国際サッカー連盟(FIFA)の規定で招集に拘束力が発生しないこともあり、日本協会は交渉に消極的だった。
ハリルホジッチ監督も表向きには五輪への協力を約束していたが、欧州組はもちろん、国内組の代表クラスでさえも、9月のW杯最終予選に招集することを理由に拒否。選択肢は限られ、選ばれたOA枠はA代表から“漏れた”3人だった。
興梠は一度は招集を断ったが、手倉森監督が直接連絡して口説いたことで翻意。スウェーデン戦後、手倉森監督は「OAについて今回は俺一人に任せてもらった」と話したが、日本協会が手倉森監督に頼らざるを得ないほどOA枠の交渉は難航していた。
手倉森監督は3人に18年W杯ロシア大会のピッチに立つというモチベーションを与え、最大限の敬意を払った。大量失点を喫した後のコロンビア戦もDFラインの顔ぶれを据え置き、自信回復の場を与えた。指揮官の我慢もあり、試合を重ねるごとに守備は安定感を取り戻したが、初戦で払った代償があまりにも大きすぎた。