【悼む】うそやろ、ケンペス…墜落事故の犠牲に

 生きててくれ…。地球の裏側の惨劇をネットニュースで知り、1時間ごとに続報を待った。6人の生存者がいると知り、反射的に彼であることを祈った。こんなことって、あるのか。うそやろ、ケンペス…。

 28日の夜、ブラジルのサッカー1部リーグ「シャペコエンセ」の選手らを含む81人を乗せた旅客機がコロンビア北部で墜落。搭乗していた22選手の中にかつてセレッソ大阪、ジェフ千葉で活躍したFWの名前があった。

 筆者が阪神担当からサッカー担当へ異動した12年のこと。例年なら虎のキャンプ地、沖縄へ向かう1月31日、大阪・南津守のクラブハウスで彼と出会った。「コンニチハ、ケンペスデス」。セレッソ大阪の新体制発表でブラジルから初来日したエヴェルトン・ケンペスが日本語であいさつ。親しみがわいたのだが、失礼ながら当時その名にピンとこず、同会見で注目を浴びた柿谷曜一朗の発言にばかり耳を傾けていた。

 香川真司が欧州挑戦で去り、清武弘嗣が主役を張ったセレッソの同シーズン。ほかにも山口蛍らスター候補を要したクラブは取材対象の宝庫だったが、新入りの記者がなじむには時間がかかった。そんなとき、金本知憲から電話で「サッカー担当はどう?」と聞かれ「清武くんにはまったく相手にされていません」と言って、笑われたことを覚えている。

 まだ清武、山口、柿谷とまともに話せなかったとき、僕のオアシスは新助っ人だった。セレッソで“同期”のケンペスになじもうと、練習の合間、スマホで検索したポルトガル語を駆使。雑談でかわした初めての取材は「familia(家族)」がテーマだった。

 「僕にも息子がいるんだよ。日本に来て、こうしてボールを蹴ることができるのも、愛する家族の支えがあるからなんだ」

 その年の3月、G大阪とのダービーで決勝ゴールを決め、初めてケンペスの原稿を書いた。打点の高いヘッドでネットを揺らした彼は満員のセレッソサポーターの前で日本式に深々と頭を下げてあいさつ。会見後、ギュッとかわした握手の感触が忘れられない。残念ながら彼はシーズン終了を待たずにセレッソを去り、翌年ジェフ千葉へ移籍。13年にJ2得点王に輝いたことはとてもうれしかった。

 今回の事故を追悼した柿谷は「自分が成長できたのは彼のおかげ」とまで言った。僕も1年足らずだったけれど、ケンペスの人望に触られて光栄だと感じていた。まだ、34歳。彼の愛するfamiliaのことを思うと、やりきれない。=敬称略=

(阪神担当キャップ・吉田 風)

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