良太、引退危機だった!神の手で復活
阪神・新井良太内野手(31)が21日、岐阜県本巣市内の治療院「千秀堂」で腰部のメンテナンスを受けた。重度の腰痛を発症した昨夏、同僚の西岡剛内野手(30)に同院の坂井教仁氏(42)を紹介された。「神の手」で順調な回復を見せる良太は発症当時を振り返り、「引退」も頭をよぎったと激白。恩人へ感謝の気持ちを語った。
治療台に横たわる良太は隠さず言った。「もう、野球ができなくなる…。本当にそう思った」。重度の腰痛を発症した昨夏、「引退」が脳裏をよぎった。突如襲われた選手生命の危機。運命の出会いがなければ、31歳で縦じまに別れを告げていたかもしれない。
前夜、新幹線で岐阜に向かった。この日朝8時から本巣市内の治療院「千秀堂」で入念に患部の治療を受け、間近に迫るキャンプに備えた。良太はここに至るまでの経緯を赤裸々に告白。恩人に感謝した。
「僕は手術対象だった。痛みは去年の夏前から。最初は右のでんぶのしびれから始まって、最後はもう立てない、歩けない状態。最初の1週間は絶対安静で寝たきりだった。シャワーのときもトイレも歯磨きもうがいも、しびれがきて部屋で1人でうめいていた。先生には感謝しかない」
「神の手」に救われた。開業17年目の坂井教仁氏は初めて良太の体を触った昨年9月末の状態を「深刻だった。骨盤のズレもひどくてかなり負担がかかっていた」と明かす。来院10回目のこの日も指圧、はりなど約3時間に及ぶ治療を行った。今後の見通しについて「いま8割程度。良太さんは筋肉の質が良い分回復も早い。必ず10割までいきますし、12割、15割を目標にしたい」と話した。
昨季8月28日の巨人戦、ウオーミングアップ途中に腰部の痛みが限界に達して離脱。都内の病院でMRI検査を受けた結果、深刻な画像に直面した。西岡から「千秀堂」の存在を伝え聞き藁(わら)にもすがる思いで坂井氏を訪ねた。戦国時代、豊臣秀吉が一夜にして築いたとされる墨俣一夜城から西北へ約4キロ、のどかな田園風景にその治療院はある。
三浦知良、北島康介、アントニオ猪木、松方弘樹、前田亘輝(TUBE)…各界の著名人、一般患者が遠路をいとわず訪れる。阪神では西岡、鳥谷も通う名院で良太は順調に復活曲線を描いている。
「もう何も問題ない。打つも守るも走るも普通に野球の動作に集中できるようになった。もともと振るほうは大丈夫。守備のときの縦の動き、前後の動きが痛かったけど、制限はまったくない状態」
正三塁手を目指す15年。選手生命の恩人に報いるため、良太は全開で開幕を目指す。