【金本新監督誕生の軌跡 1】
「阪神・金本監督」がついに誕生した。10月1日に行われた球団との第1回交渉から、受諾した17日までの間に水面下では何が起こっていたのか。取材に当たったデイリースポーツトラ番記者・吉田風が、3回連載でその舞台裏を伝える。
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金本知憲はウソをついていた。「きょう?会ってないよ」。10月12日の深夜、日付が変わった0時3分にひと言、素っ気ない言葉が返ってきた。
阪神はこの日デーゲームで巨人に敗れ、CS敗退が決定。15年度の全日程が終了した。東京ドームから都内のチーム宿舎に戻った選手、スタッフはその場で解散。前監督・和田豊の退任が既に決定しており、報道のターゲットは一気に新監督問題へ。各紙のトラ番記者たちは、ドームからタクシーに乗り込んだ球団社長・南信男の行方を追った。デイリースポーツ記者の伊藤から私の携帯に頻繁に連絡が入る。「社長はまだ駅に現れません」。新大阪行き最終便の21時30分を過ぎても、帰阪するはずの球団トップは品川駅に姿を見せないという。
一方、これまで監督要請を既に2度受けていた金本は日本テレビ解説の仕事を終え、夕刻ドームを離れた。送迎車まで見送った私の嗅覚は、この時点でまったく働かなかった。ただ、総武線で品川へ向かう途中、金本本人との何気ない会話を思い起こした。「13日に帰る」。ということは東京にもう1泊か。球界のみならず、財界から政界まで食事の誘いを受ける金本の知人は都内に数知れず。延泊に特段の疑いを持つ理由はないのだが…。
「ホテルに着きました」。伊藤のメールを着信したのは22時30分過ぎ。そのころ、チーム宿舎のロビーは一般紙、NHKを含む報道陣でごった返していたという。どうやら、南のほか球団専務の四藤慶一郎、球団本部長の高野栄一もホテルをチェックアウトした様子がない。記者の間でそんな臆測情報が流れていた。品川駅の高架下で腹ごしらえしていた私は、南そして金本の携帯を鳴らした。留守番電話サービスセンターにおつなぎします-。時計の針は23時32分。普段、返信の早い金本が1時間以上、沈黙…。と、そのとき伊藤の上ずった声が受話器越しに響いた。「いま、南社長がホテルに戻ってきました!ノーコメントです」。これは、もう…。
「確証はない。でも、都内で4人が会っていたことはほぼ間違いない。3度目の要請があったと思う。本当に間違いないか?9割9分9厘、間違いない。1面を空けて構えてほしい」。会社とそんなやりとりをしたのは最終版の締め切りが迫る23時55分。「大丈夫か?裏が取れないなら無理しなくても構わない」。当番デスク・岡本からの問い掛けに「大丈夫」と返答し、パソコンの電源を入れた。ポケットの携帯が鳴ったのはその7分後。i-Phoneの着信画面に「金本知憲」…。=敬称略=
(阪神担当・吉田 風)