【超変革を検証】「裸の王様」検証その1
「裸の王様」を辞典で引くと、こうある。
「いいことだけを知らされていて、本当のことを知らないでいる人のたとえ」
私たちの日常では「都合の良いことを言う人間を周りにおいて、不都合な話には聞く耳を持たない人」を指すことが多く、時に球界でも話題に挙がる。金本知憲は監督を引き受けた際、まず自身が「裸-」にならない策を講じている。権力を有すれば、周囲はイエスマンになる。広島時代からそんな悪例を見てきただけに「そうはなりたくない」と、念入りに組閣を練った。
「僕に意見を言ってくれるコーチ」。就任会見で人選の条件をそう話した。金本に監督を要請した当時の社長、南信男は後に「金本は『仲良し内閣だけは嫌です』と言っていたよ」と証言する。ヘッドコーチには広島で指導を受けた高代延博を据え、作戦兼バッテリーコーチは同い年ながら大学で1学年先輩だった矢野燿大を招聘(しょうへい)。とりわけ矢野には「俺にどんどん、何でも言ってくれ」と注文した。
この1年を振り返った時、果たして金本は「裸-」になっていなかったか。決断と独裁をごっちゃにすると論点はかすむが、腹心の矢野は「何でも言ったかと聞かれれば、難しいし、できたという自信はないかな…。聞かれた時はもちろん言うけど、試合中の瞬間、瞬間は特に難しかった」と述懐する。
プロ野球の監督にとって「部下」の類いはコーチと選手。前者との風通しは良いように映ったが、後者との関係はどうだろう。スローガンを「超変革」とうたっただけに、これまでの概念を覆す言動が注目を集めた。物議を醸した「事件」も少なからずある。
インパクトの大きさで言えば「藤浪の161球」。否の声も間接的に金本の耳にも入ってきた。立ち上がりの四球、初回の失点…繰り返された若きエースの失態に業を煮やした将の懲罰。本紙を含め多くのメディアはそう報じたが、金本の思惑はほかにもあった。
「監督になる前から晋太郎のことは聞いていたよ。特別扱いされて甘やかされている、と。俺は最初、そんなことはないと思っていたんだけど、現場にいて感じることも確かにあった。マウンドでの振る舞い、練習中の態度…。周りが言うのはこのことか、と」
161球を投じた7月8日は球宴前のラスト登板で、次戦登板の7月22日まで中13日。金本には休養期間の計算もあったが、大方の評論は「肩が壊れたらどうするのか」「常軌を逸している」…。そして批判の矛先はベンチワークにも向けられた。なぜ、誰も止めなかったのか、と。
僕の取材では、責任問題も覚悟の上で踏み切った決断であり、監督の裁量で断行されたもの。コーチ、選手、そしてフロントにも「あれくらいやってもいい」との意見もあったが、当の金本は自問自答していた。そして、ヤフオクドームで開催された球宴第1戦の試合後、中洲の料理店へ藤浪を誘った。(続く)=敬称略=