守備コーチ留任の決議
【11月5日】
太平洋がこれほど広大に見渡せる街をほかに知らない。高知東部の街、安芸市である。この高台から絶景を眺めてはや20年。野村、星野、岡田、真弓、和田、金本、矢野…。僕も歳をとるはずだ。
3日間ほど休みをもらい、秋季キャンプ第2クールから〈参戦〉してみると、なんだか出遅れた感がある。ブルペンをのぞけば、藤浪晋太郎が臨時コーチ山本昌の手ほどきに頷いている。昌流がしっくりくるのか、晋太郎がイイ顔で腕を振っているのが印象的だ。
「おい、来てたのかよ!」
こちら久慈照嘉である。
挨拶がないな。顔にそう書いてあったので、安芸ドームの脇で頬張っていた弁当を口に押し込むと好物の出汁巻きがポトリ。「あっ…」とこちらがへコんでいると、「落とすなよ~」と、久慈が笑っている。笑えない、マジメな取材をしようと思っていたのに。
再生が命題なのは、ナンバー19に限らない。20年へ向かう矢野阪神は、安芸キャンプで何を鍛錬しているのか?ここへ来られない猛虎党の読者へ、そのあたりの肝を届けられればと思っている。
19年の大きな綻び…それこそ、久慈ら守備コーチはもううんざりだろうけれど、〈ディフェンス力の再興〉なくして、05年以来となる虎の再浮上はありえない。
本紙記録部によれば、今年の計102失策のうち、内野手の失策は「70」を数えるという。(ちなみに外野手のそれは「11」)。
ノックバットを手にサブグラウンドへ向かう久慈を見送りながらふと考える。ファンは、あの綻びについて、どう感じていたのか。
12球団ワーストの失策数は担当コーチの責任では?打撃部門には外から新しい血を入れたのに、守備コーチは留任するの?そんなギモンを感じる人は必ずいる。
しかし、球団は守備部門に新しい指導者を据えなかった。必死に探したけれど、断られたのか。いや、探さなかったし、そもそも、代えるつもりはなかったのだ。
ここからは当欄の取材である。
9月末日の試合後のこと。フロント陣と矢野は食事の席を設け、そこで「守備再建」について論じられた。テーマは、難局に対するアプローチのあり方である。
担当コーチが選手に打開策を指南するのではなく(=指導者側から課題や練習法を選手側へ指示、説明するのではなく)、まず当事者である選手がどう考えているのか、課題克服に何が必要なのかを自らの言葉で担当コーチに伝えることからスタートさせる-。
この「矢野の考え」をフロント一同が共有し、秋から実践していきましょう。それこそが、その夜の〈決議〉であった。
ひと月前の〈決議〉を実践する秋の安芸である。19年の現場を知らない新任コーチを配置すれば、選手と反省を共有することはできない。サブグラウンドで久慈と藤本、内野守備コーチ二人のノック音が鳴りやまなかった。「球数を受ける」だけじゃない、再生にかける、個々の雪辱が詰まった特守がそこにある。=敬称略=