世界遺産登録を目指す長崎の教会群
おそらく大半の人が覚えているのではないだろうか。歴史で習ったフランシスコ・ザビエルの絵を。1550年、長崎でキリスト教布教を始めた宣教師。頭頂部が薄いため、現在では同様の人を「ザビエル君」と呼ぶこともある。460年後に自分の名前がそんなふうに広まっているとはザビエルも想像すらしなかったろう。長崎のキリスト教徒もまた、想像を超える体験を重ねてきた。弾圧、迫害、潜伏。世界遺産登録を目指す長崎の街々を訪ねた。
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初めてキリスト教会に行ったのは高校生の時だった。彼女がクリスチャンで、クリスマス礼拝に誘われた。今も思い出せることは3つ。ただ眠かったこと、意識を失いそうになるたびにわき腹を小突かれたこと、彼女のおねえさんがとても美しかったこと。
しかし、その後は教会には海外旅行の一環でしか行くことはなかった。今回訪れた長崎の教会はいずれもこぢんまりとしていて、例えばバルセロナにあるサグラダ・ファミリアの壮麗さとは比較すべくもない。けれども、印象の深さは決して劣らないだろう。
長崎県平戸市にある田平天主堂は海をのぞむ重厚なレンガ造りだ。1918(大正7)年に完成した。建設に使われた石灰は信者たちが集めた貝殻を焼いて作ったと伝えられている。訪れたのは夕刻。西日がステンドグラスを通して教会内部を極彩色に照らした。
教会守の今村国男さん(66)は「もともとは4家族が1886年にこの地に移住してきたことが始まりです。今では日曜日のミサには300人ほどが集まります」と語った。「観光客の中には酒を飲んで騒ぐ人もいる。信者にとって好ましい光景ではない。世界遺産登録に向けて、もろ手をあげて喜んでいるわけではありません」と信徒全員が賛同しているわけではないことを淡々と訴えた。
日本におけるカトリック教徒の割合は0・3~0・4%という。1550年にもたらされた後、苦難の道を歩んだ。1587年、豊臣秀吉が「伴天連追放令」を発布。26人の宣教師、信徒らが長崎の西坂の丘ではりつけにされた。1614年、徳川幕府が全国に禁教令。信徒たちは“隠れキリシタン”と称されながらも信仰を守り、1873年に「禁教の高札」が撤去されてようやく認められた。以後、自分たちの集落に教会を建立した。
建物の歴史も、信教の歴史もヨーロッパに比べて浅い。しかし、年数だけでは測れない確かな重さがそこにあった。
◆田平天主堂 長崎県平戸市田平町小手田免19
◆頭ケ島(かしらがしま)天主堂 全国でも珍しいという石造りの教会。長崎県新上五島町友住郷頭ケ島638
◆紐差(ひもさし)カトリック教会 白亜のロマネスク様式。長崎県平戸市紐差町1039
◆史跡・ガスパル様 山田教会からほど近い。同教会の住所は長崎県平戸市生月町山田免442
☆アクセス 伊丹空港と長崎空港はJALが1日4往復、ANAが同3往復。神戸空港と長崎空港をスカイマークが同4往復。ピーチが関西空港と長崎空港を1日1往復。便数は今後変更の可能性も。教会巡りなど現地での移動はレンタカーかタクシー。