福知山成美・太田、父のいたマウンドに
「全国高校野球・1回戦、沖縄尚学8-7福知山成美」(11日、甲子園)
父が光り輝いたマウンドに立つことはできなかった。高校最後の試合、福知山成美・太田の出番はなかった。それでも伝令として、チームを鼓舞した。「グラウンドに立って、いろんなことを感じた。言葉では表せないけど、父もこんな気持ちだったんだなと思った」。父の背中を追い続けた太田の夏が終わった。
ピンチの場面で伝令としてマウンドへ走った。六回、3点を奪われ5‐5。なおも2死一、三塁では「気持ちで押していけ」と仲村渠にげきを飛ばした。この回を含め3度マウンドに向かい、その後はいずれも無失点。太田の言葉がナインに力を与えた。
父の太田幸司氏=日本女子プロ野球機構スーパーバイザー=は、69年夏、三沢(青森)で甲子園準優勝投手。自身は主将、そして控え投手として聖地にやってきた。父と役割は違う。それでも「信頼してもらうために、まじめに精いっぱいやってきた。辞めたいと思ったこともあるけど頑張ってきた」。謙虚さを忘れず、部員114人をまとめてきた。
この日、父はアルプス席から声援を送った。「出番があってもなくても、チームのためにはいい選手だったと思う。ご苦労さんと言いたい」とねぎらった。
卒業後は大学に進学し野球を続ける予定だ。「いろいろな経験をさせてもらった。どんな苦しいことがあっても、この1年を思い出せば乗り越えられる気がする」。たくましさを身につけた1年。後悔はない。