前橋育英・高橋光、自責0逃すも歓喜V
「全国高校野球・決勝、前橋育英4‐3延岡学園」(22日、甲子園)
初出場の前橋育英が延岡学園に4‐3で逆転勝ちし、優勝を飾った。夏の甲子園大会での初出場優勝は91年の大阪桐蔭以来、22年ぶり14校目(第1回大会を除く)で、群馬県勢では99年の桐生第一以来、2度目の日本一。エースの高橋光成投手(2年)は今大会初の自責点がついたものの、3失点で完投。全6試合に登板し、5完投の鉄腕ぶりでチームを日本一に導いた。
体は限界を超えていても、頭は冷静だった。1点リードの九回2死一、二塁。サインに首を振って高橋光が選んだ決め球は、こだわりの直球ではなくフォーク。「最後は絶対に三振で斬ろうと思っていた。直球は球威が落ちていたので」。最後の打者のバットが空を切ると、苦闘の末に頂点にたどりついた188センチ右腕は、たちまち歓喜の輪にのみ込まれた。
準決勝後から、体調に異変が生じていた。「熱中症かなと思った」。宿舎での休養と水分補給などで症状は改善したが、まぶたは腫れ、この日も下痢が続いた。「体が重くて全然動かなかった」。直球は130キロ台前半が大半で、四回には4安打2四球で3失点。今大会45イニング目で初の自責点がついた。
それでも、失点直後に打線が同点とすると、エースの闘志に火が付いた。「3点取られた時は弱気になった。点を取ってもらって『自分は何をしているんだ』と。もう1回気持ちを入れ替えた」。五回以降は2安打投球。鉛のような体にムチを打って勝ち越しを呼び込むと、九回にこの日最速の141キロをマーク。閉会式直前にトイレに駆け込むほどの状態でも、気迫で抑え込んだ。
山と川に囲まれた大自然の中で育った高橋光。荒井直樹監督(49)は「注目されても変わらない。山奥の純朴な野球少年」と話す。甲子園出場校からの誘いもある中、夏の出場がなかった前橋育英に進学を決めたのは「自分が連れて行きたいという思いもあった」から。目標の初出場達成から一気にVを果たし「うれしくて信じられない」と、笑顔をはじけさせた。
6試合5完投、50回を投げ抜いた。防御率0・00の優勝投手という快挙を逃し「やっぱりゼロで抑えたかった」と悔しがったが、自責点2は昨年の大阪桐蔭・藤浪晋太郎(現阪神)に並ぶ少なさだ。
「全国を代表する投手になって、またここに帰ってきたい。今度は、最後に自信のある直球で三振を取りたい」。日本一になってもすぐに向上心が口を突く、末恐ろしい2年生。聖地での初戴冠は、まだ序章にすぎない。