オリ平野、原点はG高橋由の高級車
引退会見で見せた表情は、どこまでも晴れやかだった。14年のプロ野球人生。オリックス-阪神-オリックスと渡り歩く中で、大ケガからの復活もあった。「100%では勝てない中で200%、300%、1000%でやってきた」。オリックス・平野恵一内野手は、偽らざる思いを吐露した。身長169センチ。常に限界の挑戦だった。
「小さいけれど、この体も頑張ってくれた。もうそろそろ許してあげたい。お疲れさまと言ってあげたい」
桐蔭学園高(神奈川)-東海大を経て、自由獲得枠で02年にオリックス入団。06年5月6日のロッテ戦(千葉マリン)で、二塁の守備位置からファウルボールを追って飛び込み、頭からフェンスに激突した。ボールは離さなかったが胸部軟骨損傷、右腰の肉離れ、手首と右股関節の捻挫…。選手生命の危機に立たされる重傷を負った。
「この小さい体で、生き抜くために何が必要か。そのために命を懸けてグラウンドに立っている。極端に言えば死ぬ覚悟が必要」
埋められない体格差は、及ばぬパワーは、人一倍の「強い心」で補ってきた。代名詞となった「ヘッドスライディング」と「ダイビングキャッチ」。「最後まで諦めないんだ、という気持ちを見せたい。投げている投手が、見ているファンがどう思うか」。たとえ結果は同じでも、そこに向かう姿勢、課程を大事にした。その答えが決死のプレーだった。
だからこそ、私生活から「プロ」に徹した。プロ野球選手を目指したのは高校3年生。桐蔭学園の主将で甲子園にも出場した。そんな平野らを、同校出身で、巨人の高橋由が激励に訪れた。ピカピカに光った真っ黄色の高級車で。
「黄色の車で、本当にかっこよかった。これがプロ野球選手か、って。憧れた」。全選手を集めると、監督が口を開いた。「ここで辞めて今、楽しい思いをするのか。それとも先輩みたいに成功して、後で楽しむ方がいいのか。お前たちで選ぶんだ」。迷いはなかった。必死に、休みなく野球に没頭した。
プロ野球選手として突っ走った14年。母校を訪れる時は必ず車で、ピカピカに磨いて向かった。「僕が由伸さんに憧れたように、後輩たちに夢を持たせてあげたかった」。真夏のグラウンドで見た先輩の姿が原点だった。
幼少期の夢は、タクシーの運転手だった。「行きたい場所を伝えたら、その場所まで送ってくれる。雨にもぬれないし、安全に」。特に個人タクシーには、プロ意識を重ね合わせた。己の腕一本。組織に縛られず、どれだけ稼げるかは経験と勘、人柄が左右する。憧れと尊敬と、応援したいという気持ちで。今でもタクシーに乗る時は、個人タクシーを選んで乗る。「最近どうですか?いつもありがとうございます」との言葉を添えて。
速い球を投げる選手、遠くに飛ばすことができる選手が集う日本最高峰の舞台。必死に生き抜く姿は多くの人に夢と、感動を届けた。通算成績は1260試合に出場し、1184安打、打率・279、18本塁打、263打点。「やり残したことはないです。少しゆっくりと歩いて、周りの景色を見ながら考えたいですね」。14年間、ひたむきに、ひたすらに駆け抜けてきた。少しだけ羽を休めて、次のステージへと走りだす。また全速、全力で-。(デイリースポーツ・田中政行)