【野球】東海大相模・吉田に投手の資質
10月22日、ドラフト会議当日の東海大相模。オリックスの5位指名を受けた吉田凌投手の母、ひとみさんは、同校の記者会見場の片隅で泣いていた。父・和則さんはほっとした笑顔を見せていたが、母は最悪の事態を想定して胸が張り裂けそうだったのだろう。
“ダブルエース”と呼ばれた盟友、小笠原慎之介投手が中日に1位指名されてから約2時間。ウエーバーは何度も12球団を往復した。ようやく名前が呼ばれると、最速151キロ右腕は「プロの世界に入るというのがどれほど難しいかわかった」と開口一番。「小笠原が決まって、自分は待つしかないと思った。名前が挙がった時には頭の中が真っ白になった。自分もその世界へ行けるんだって」
兵庫県西脇市出身。北播シニア(硬式)で活躍し、高校進学時に100校を超える誘いがあったという。地元を離れて東海大相模に進学し、1年時で球速は150キロを超えた。2年夏、神奈川大会決勝では20奪三振をマーク。小笠原より先に注目され、プロからもドラフト1位候補としてマークされていた。
しかし、早熟の天才は壁にぶち当たる。「(150キロや20奪三振など)その数字以上が出てないと調子が悪いと感じて苦しんだ。スピードや(三振の)数では勝てないとわかった」と振り返った。
最後の夏。甲子園の決勝戦で登板機会がなかった吉田は、完投してV弾も放った小笠原を「持ってる男は違いますね」とたたえた。負けん気が強く、闘志をむき出しにする小笠原に対して、吉田は繊細なイメージがあった。チームメートではあるが、ライバルでもある小笠原を立てるような、一歩引くような部分が投手としては控えめすぎると感じたこともある。
しかし、ドラフト当日の取材を終えて、それは記者の見誤りだったのではないかと思った。指名を受けた吉田は、「小笠原とリーグが違うのがほんと残念ですよね。一番戦いたい存在なのに」と繰り返した。そして、「(高校時代は)自分の横にすごい投手がいた。いつも2人で投げ合ってきた。次の舞台に立ったら、今までの分を返したい。小笠原より上に行けるようにしたい」と宣言した。
左腕と切磋琢磨(せっさたくま)した3年間が、吉田にとっては何よりの誇りだった。一時は1位候補と言われながらたどり着いた「5位」という順位に、劣等感のかけらも見せなかった。
投手に必要な資質は「強気」だけではないのだろう。苦しんだ時間をすがすがしく受け入れられる聡明(そうめい)さは、投手として大きな武器になる。曇りのない笑顔を見て、下位指名から球界トップへと上り詰めていく右腕の姿を想像した。
(デイリースポーツ・船曳陽子)