オリックス40人黙とう1・17忘れぬ
阪神・淡路大震災から21年目の17日、オリックスは福良淳一監督(55)、田口壮2軍監督(46)ら40人が神戸市須磨区のほっともっと神戸で、正午から震災の犠牲者へ黙とうを捧げた。1995年のリーグ優勝に貢献した田口2軍監督は「風化させてはいけない」と、今季への決意を新たにした。
ほっともっと神戸のバックスクリーンに向かって黙とうをささげた。田口2軍監督はあの奇跡の1年を思い出していた。
21年前の1月17日、神戸市北区のマンションにいた。ひと月前に一人暮らしを始めたばかりだった。早朝、強烈な揺れに体ごと揺さぶられた。何とか脱出し、青濤館へ向かおうとしたが、標識や街路樹が倒れ道路は通れなくなっていた。
「一人で電話もつながらず。どこにも行けず不安でした」
食料はなく2日間を水だけで過ごした。3日目、ようやく営業を始めたスーパーに2時間並んでようやく8個の缶詰を手に入れた。
「フルーツとかシーチキン。これだけじゃ痩せてしまうと思って、近くの肉屋に“なんとか分けてもらえませんか”と頼んで1キロの肉を手に入れた」
キャンプ地、宮古島へは福岡まで鉄道を乗り継いでたどり着いた。バラバラでのキャンプイン。
「家族は残してきているのに、三食、何不自由ないところでキャンプ。野球なんかやってていいんかとみんな思っていた」
キャンプを打ち上げ、関西空港から連絡船で神戸に戻ってきた。青濤館へと向かうバスから見る三宮の街に言葉を失った。
3月初旬に神戸でオープン戦が行われた。「ガラガラちゃうかと思ったらスタンドはいっぱい。避難したままの格好で駆けつけてくれていた。やらなアカンと思いましたね」。迷いはなくなった。
「がんばろうKOBE」を合言葉に開幕すると怒とうの快進撃、そして優勝。
「仰木さんというすごい監督がいたこと。それとみなさんの応援。僕たちだけの力じゃ優勝はできなかった」
この日の朝、ニュースで震災関連イベントが半減したと聞いた。
「風化させてはいけないという思いが強くなった。何年たとうが自分の中で変わることはない。大好きな神戸と一緒に伝えていかないといけない」
気持ちを新たに20年ぶりの優勝へ、全力を注ぐことを誓った。