「二十四の瞳」山沖氏も歓喜 「残り物」がつかんだ準V振り返る

山沖之彦氏=05年撮影
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 第89回選抜高校野球大会(3月19日開幕、甲子園)の出場32校が27日、発表された。21世紀枠では中村(高知)が選出。初出場ながら12人で準優勝した77年以来、40年ぶり2度目のセンバツ出場を決めた。

 77年のエースで、阪急などで活躍した山沖之彦氏(57)は「センバツは選ばれて出場するわけだから21世紀枠だろうと、胸を張って出てほしいね」と後輩を祝福し、自身の高校時代を懐かしんだ。

 当時の高知県の高校野球は高知、高知商、土佐の3強時代だった。「上手な選手は高知市内へ行っていた。言葉は悪いけど僕らは残り物だった」と山沖氏。県西部の四万十川にほど近い中村は、地元の中学出身の12人で構成されていた。

 だが、191センチの長身右腕・山沖氏を中心に、76年秋に快進撃を見せる。高知大会を制し、四国大会で準優勝。翌77年のセンバツ出場を確実にした。

 「うれしかったけど、センバツに出られるだろう、となってからの練習が大変だった。当時の高知代表は、甲子園に出て1回戦で帰るなんて、みっともなかった。選手は12人だけど、手伝いのOBの方が多くて15人はいた。ノッカーが代わっても、受け手は変わらないみたいな感じでね」

 当時はセンバツのベンチ入りが14人だったため、四国大会準優勝後に部員を募集。しかし、1人も入部希望者は来なかった。「僕らの練習を見て入りたくないと思ったみたい(笑)。監督は『グラウンドでは(選手を)人間と思わない』と言っていてね。今では考えられないけど、NHKが取材に来た時に選手が尻バットされたんだけど、その映像が流れるぐらい、厳しいのが当たり前だったから」。苦笑いで振り返るほどハードな練習を乗り越えた12人は、聖地で成長の跡を見せた。

 山沖氏が1回戦で戸畑(福岡)を完封すると、海星(長崎)、天理(奈良)、岡山南(岡山)と強豪を撃破。決勝で箕島(和歌山)に敗れたが、県立高校の快進撃は「二十四の瞳」と称されて、大きな話題となった。

 大会後もフィーバーは続いた。地元でのパレードは大盛況。「天皇陛下が訪問した時以来の人出と聞いた。僕は自転車で通学していたんだけど、大会後は目が合う人に頑張ってと言われていたよ。有名人だったね(笑)」と40年前の興奮を思い出し、目尻を下げた。

 プロでは94年オフに阪神へFA移籍して甲子園が本拠地となったが、高校時代に経験した甲子園は別物。まさに聖地だった。

 「高校野球とプロの時では、甲子園は全然違うよ。高校野球は弱いチームを応援してくれるし、乗せてもらった。楽しかったなあ」

 現在は三宮でスナック「BAKU」を経営する傍ら、母校の活躍にも注目している。昨年は当時のメンバーと、秋季四国大会準々決勝・英明戦を観戦。「初回に1点を取られて、3点を取った。自分たちは守り勝つ野球だったから野球が違った。今風の野球をやるね」。高知大会決勝では、後に四国大会を制する明徳義塾を破った後輩に、77年のような快進撃を期待していた。

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