呉・中村信彦監督、創部10年で初甲子園「泥くさくてもいい。これまでと同じで」
第89回選抜高校野球大会(3月19日開幕・甲子園)に創部10年の呉(広島)が初出場する。昨秋の中国大会で広陵、新庄など強豪を倒して準優勝し、春夏通じて初の甲子園切符をつかんだ。2007年の野球部発足から指導する中村信彦監督(62)にとっては、母校の尾道商を率いた1986年春以来、31年ぶりの甲子園。大舞台を前に、デイリースポーツのインタビューに応じ、これまでの苦悩や躍進のきっかけを語った。
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最後の奉仕
-甲子園出場おめでとうございます。
「ありがとうございます。最後の奉仕だと思って、何とか夢をかなえたいと思って指導してきました。呉市民の夢をかなえて欲しいと言われていたので、これまでとは違った特別な思いがあります」
-07年の創部から、ここまで10年間の指導を振り返って。
「どんなことにもへこたれない、最後まで頑張り抜くとかそういう気持ちを植えつけるのに10年かかった。最初の子どもたちは伝統がないので逃げ腰になってしまい、名門校に当たったら最初から負けるという気持ちがあった。勝負をしていく上で、そういう部分をなくすために精神的な部分を鍛えてきました」
-初年度と比べてチームの雰囲気などは大きく変わったか。
「全然違う。全体的に粘り強くなりました。諦めないというか、細かいプレーが分かってきて強豪校相手にも臆しなくなった」
-指導する上で苦労したことは。
「最初は本当にゼロからのスタートでした。中学野球の延長で、応用が利かないというか。試合に勝つためには、ちょっとしたミスを突かないといけないし、突かれたらいけない。そういうことを教えるのに本当に時間がかかりました。伝統がないので、先輩が教えられないというのが大きな問題でした」
-体調を悪くされて、一度チームを離れたと聞きましたが。
「4年ぐらい前に頸椎(けいつい)を痛めました。冬に足へ水をかけても熱いと感じて、おかしいと思い病院へ行きました。すると、病院の先生から『いつ手足が動かなくなるか分からないから、すぐ手術したほうがいい』と言われ、3学期に休職して手術を受けました。次の年には白内障の手術。今は視力2・0もあります。それまではボールが見えにくかったのですが、いまはよく見えますよ。見えないと怒れないですからね(笑)」
-チームを離れる時の心境は。
「子どもたちを預かっている以上、続けなくてはいけない。今は辞められないなという強い思いがありました。監督を続けていくために手術するしかないと思いました」
-強豪集まる広島で勝ち抜くために心掛けていることは。
「一生懸命やらせることが一番。基本に忠実にと常に言っている。基本がなければ応用も利かない。格上が相手でも無駄なエラーや四球など逃げ腰にならなければ大崩れはないと思う。同じ高校生。ミスをなくすことができれば勝負になる」
-中村監督が参考にしている指導者は。
「皆さんを参考にしています。例えば如水館の迫田(穆成)さんとか新庄の迫田(守昭)さん。ライバルですが、尾道商時代からその方たちがどのような野球をしているのかというのかを見て研究していました。新しいものを取り入れるというか、常にそういう姿勢を持っています」
-中国大会準優勝を果たした今年のチームスタイルは。
「今のチームは投手を中心とした守り勝つ野球しかない。長打を打てる選手もいないので、とにかく勝負するためにはしっかりと守り勝つしかない」
-しっかりと守る上で大事なことは。
「肩が弱くても声を出して気持ちを前に出すことが大事。例えアウトにできなくても、一生懸命プレーする姿が周りを盛り上げる。その一つをやるかやらないかで大きくチームの士気は変わってくる」
-親が中村監督に指導を受けており、それを聞いて入部を決めた選手もいるそうだが。
「キャプテンの新田もそうなんですが、うちに入ってくる子どもたちは親から子へ2世代にわたって指導することが多い。どういった指導をするかというのを聞いて入って来てくれる。辞める子も少なく、ほとんどの選手が3年間続けている。そういうつながりというのは、うれしいことですね」
-選手にとっては初めての甲子園。どういう戦いをを期待していますか?
「泥くさくてもいい。これまでと同じでいけばいい。相手はみんな同じ高校生なので。練習しているグラウンドが甲子園と思って毎日プレーすれば、変わることないと思う」
-対戦相手はまだ決まっていないが、チームとしての目標は。
「しっかりとしたゲームをして皆さんに感動をしてもらえるようにやっていきたい。まずは、目の前の試合を全力で戦うことが1番大事。子どもたちと一緒に頑張りたい」