侍ジャパンのキーマン・小林 大舞台で生きた「あの夏」の教訓
1次リーグから4連勝中の侍ジャパン。4戦連続でスタメンマスクをかぶる小林誠司捕手(27)=巨人=は、打率・455、1本塁打、4打点とバットでも貢献。チームにとって欠かせないキーマンとなっている。そんな旬の男の素顔を、同志社大野球部時代の後輩でデイリースポーツ・阪神担当の中野雄太記者が紹介する。
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先輩の姿を見ていると、深夜3時まで語ったあの夜を思い出す。
「あそこで負けたから、今の自分がある」
2007年夏の甲子園。広陵-佐賀北の決勝戦は劇的な幕切れだった。八回裏、広陵・野村(現広島)が連打と四球で1死満塁のピンチを招くと、次打者もカウント3-1。5球目、捕手・小林は真ん中低めにミットを構え、野村も寸分の狂いなく投じたが…。主審の手は上がらず、押し出し四球となった。
小林はミットを激しく地面にたたきつけ、それを見た野村も動揺。次打者に逆転満塁本塁打を打たれ、聖地に沈んだ。「あんなことをしたから」。2つの後悔が残ったという。
(1)野村に心を乱している自分を見せた。
「捕手というのはどんな時でも、投手に動揺してる姿なんか見せたらいけない。でも、あの時は自分が乱れてしまったから。野村に申し訳なかった」
(2)広陵・中井監督からもらったミットを粗末にたたきつけた。
「大事にしていたつもりだったけど、ああやってしまって…」
同志社大野球部に所属していた私は、誠司さんの1学年後輩。寮では6畳一間の同部屋で、同じ時間を過ごした。数え切れないほど思い出はあるが、9年前のこの夜の話は一生忘れない。その教訓を胸に、日々を過ごしていたと思う。
練習開始1時間前にはグラウンドへ行き、1回生と一緒に道具などの準備をするのが日課だった。全体練習後は最後の一人になるまで球場に残り、午後9時半に照明が消えるまで自主練習に汗を流していた。夕食後もすぐ寮の外で素振りを始め、部屋に帰ってきたと思えば各テレビ局のスポーツニュースをチェック。まさに四六時中、野球に打ち込む日々だった。
誰に言われるまでもなく「心に余裕がある時だけやで」と、トイレのスリッパを並べるのも誠司さん。常に相手に寄り添い、思いやりの心を持って人と接する。好きな言葉は「ありがとう」。8日夜、テレビ越しに当時の先輩の姿を思い出した。
1次リーグのオーストラリア戦。五回1死満塁のピンチに浮足立つ岡田のもとへ、笑顔で声をかけに行き、二ゴロ併殺に抑えた。「動揺してる姿なんか見せたら」-。あの夏の教訓は生かされた。(中野雄太=同大野球部OB)